「コラム」カテゴリーアーカイブ

コラム&エピソード

いずれは『暴力の連鎖』を断ち切らないと…

われわれが現在生きている21世紀。その幕開けは「暴力と破壊」で始まってしまった。

あの「911テロ」とその後の無差別テロ、それに対する暴力による報復、さらなる憎しみによる無差別テロ、そのための、正義を振りかざした報復攻撃、そしてまた…。

「暴力の連鎖」という名のメビウスの環が、今この世界を大きく取り囲んでしまっている。22世紀の人たちの目には、今の世界はどのように映っているのだろうか。

この連鎖がどこかで断ち切れないと、人類に未来はない。願わくは、次の世紀には、こうした「暴力の連鎖」が過去(前世紀)の遺物となっていることだ。 続きを読む いずれは『暴力の連鎖』を断ち切らないと…

シオニズムは、ユダヤ民族再生計画だった?

「シオニズム」とは、ユダヤ人のための独自の国家を建設し、それによって民族としての再生を図ろうとした思想、またはその運動のことをいう。具体的には、パレスティナに「ユダヤ人のための郷土」を作ることを目指したもの。

背景には、長きに渡るユダヤ人差別など、他民族から虐げられてきた歴史がある。

ちなみに、「ユダヤ人」という言葉は、厳密にいうと「ユダヤ教徒」のことを指しているのだが、これを一つの民族とみなし、「ユダヤ民族」として扱われていることも多い。 続きを読む シオニズムは、ユダヤ民族再生計画だった?

若い頃から波乱万丈、またシオニスト強硬派だったベギン

シオニズム運動家ゼエブ・ドヴの息子として生まれたメナヘム・ベギン。自らも16歳のときに、シオニズム運動に参加し、そうした組織にも所属していた。

1939年にドイツがポーランドに侵攻した際、パレスティナ入りを目指し、妻アリザとともにリトアニアに脱出。しかし、シオニストであったベギンは、ソ連の治安当局にイギリスのスパイ嫌疑をかけられ逮捕されてしまう。

そして、シベリアの強制収容所へと送られてしまうのだが、ドイツとの戦いに参加することを条件に釈放され、こうして軍に入隊。こんどは中東に送られることに…。

と、ここまででも、かなりの波乱万丈であるが、その後もやはりゴタゴタが続くのであった。 続きを読む 若い頃から波乱万丈、またシオニスト強硬派だったベギン

バルト三国の独立も承認!

思えば、1989年11月の「べルリンの壁」崩壊を弾みに、東欧の共産主義諸国の崩壊が次々と飛び火していった感もある。そうした動きに連動して、ソ連が抱えていた多くの共和国にも独立化(民主化)の波が広がっていった。

あの軍部保守派によるクーデターが鎮圧された後、ソ連共産党の解体を発表したゴルバチョフは、それまでの懸案であったバルト三国(リトアニア・ラトビア・エストニア)の独立を承認。

これをキッカケに、アルメニアやグルジア、それに連邦内ではロシアに次ぐ大国だったウクライナも、ソ連からの独立を表明したのだった。

これらの独立も、ゴルバチョフが大統領を辞任し、ソ連が消滅したことで、達成できたのである。 続きを読む バルト三国の独立も承認!

『ペレストロイカ』はかく語りき

1985年に共産党書記長に就任したゴルバチョフが、進めていった改革は多い。

中でも「ペレストロイカ」(perestroika)とよばれるものは、日本でもその言葉が有名になったほど、注目された改革だった。

その意味は、「立て直し」。つまり、改革そのもののことだ。

旧ソ連の経済システムである限り、その先も国の経済が思わしくいかないことが、改めて認識された。だから、それを変えるべく、必要な改革をおこなっていった、ということだ。

実際、旧ソ連のような、なんでも中央から指令を出して行うという経済体制(指令型経済)では、ひじょうに効率が悪く、また技術が遅れる要因にもなっていたのである。 続きを読む 『ペレストロイカ』はかく語りき

武力と権力を背景にした軍事政権 VS 暴力を否定した女性戦士

1988年、国軍は全権を掌握した「国家法秩序回復評議会」(SLORC)、つまり「軍事政権」を成立させ、89年2月になると、「翌年5月に、総選挙を実施する」と発表した。

一方、民衆側はアウン・サン・スー・チーを書記長とした、「国民民主連盟」(NLD)を結成しており、国軍が発表した「翌年の総選挙」に彼女も出馬することになった。

ところが、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)の不法な権力によって、彼女は選挙資格を略奪され、しかも自宅に軟禁されてしまったのだ。彼女の自由を奪い取ることで、民主化運動の影響力が民衆に及ばないようにするためである。

それでも、翌年(90年)に実施された総選挙の結果は、「国民民主連盟」(NDL)の圧勝であった。それにもかかわらず、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)は政権委譲を拒否。彼女も軟禁されたままであった。 続きを読む 武力と権力を背景にした軍事政権 VS 暴力を否定した女性戦士

民主化運動の女性リーダーは、学生時代から勤勉で、優秀だった!

「ビルマ建国の父」といわれたアウン・サン将軍を父にもつ、アウン・サン・スー・チー。

その父は1947年に暗殺されており、彼女は15歳のとき、インド大使に就任した母ドー・キン・チーに伴われて、赴任地であるインドで学生時代を過ごすことになった。

インドといえば、あのマハトマ・ガンジーが活躍した国である。ガンジーの非暴力・不服従運動は有名であるが、彼女もそうした考えや行動に共鳴するところが大きかった。

その後、彼女はイギリスのオックスフォード大学に留学し、政治学や哲学、それに経済学などを学んだ。

国連本部でも3年ほど勤務したほか、ブータンに滞在したり、また日本の京都大学でも留学生活(85年10月~)を送ったりと、幅広い教養を身に付けると同時に、奥深い海外経験を重ねていった。 続きを読む 民主化運動の女性リーダーは、学生時代から勤勉で、優秀だった!

『GNP』と『GDP』の違いについて

「GNP」は、Gross(総)、National(国民)、Product(生産)の略で、「国民総生産」ということになる。つまり、日本「国民」が、「生産」したもの(使ったお金)の合計(総)ということだ。

だから、日本であろうと、海外であろうと、日本国民が使ったお金は、すべて、これに含まれることになる。

ところで、現在では、このGNPを「経済成長を示す指標」として用いることはなくなった。

なぜなら、国際化が進み、国内の外国人が増えてきたため、外国人が使うお金も増えてきたからである。これを含めないと、実際の経済成長が、正確に把握できなくなるのだ。 続きを読む 『GNP』と『GDP』の違いについて