思えば、1989年11月の「べルリンの壁」崩壊を弾みに、東欧の共産主義諸国の崩壊が次々と飛び火していった感もある。そうした動きに連動して、ソ連が抱えていた多くの共和国にも独立化(民主化)の波が広がっていった。
あの軍部保守派によるクーデターが鎮圧された後、ソ連共産党の解体を発表したゴルバチョフは、それまでの懸案であったバルト三国(リトアニア・ラトビア・エストニア)の独立を承認。
これをキッカケに、アルメニアやグルジア、それに連邦内ではロシアに次ぐ大国だったウクライナも、ソ連からの独立を表明したのだった。
これらの独立も、ゴルバチョフが大統領を辞任し、ソ連が消滅したことで、達成できたのである。
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それにしても、東欧の共産主義諸国の相次ぐ崩壊、そして大国「ソ連」(ソビエト社会主義共和国連邦)の短期間での消滅、次いで多くの国の独立、さらには社会主義体制から民主主義体制への転換など、これらのことはどれも、東西冷戦時代を生きた人たちにとっては、まったく予想できないことだった。
まさに、古今未曾有の出来事だったのである。
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