民主化運動の女性リーダーは、学生時代から勤勉で、優秀だった!

「ビルマ建国の父」といわれたアウン・サン将軍を父にもつ、アウン・サン・スー・チー。

その父は1947年に暗殺されており、彼女は15歳のとき、インド大使に就任した母ドー・キン・チーに伴われて、赴任地であるインドで学生時代を過ごすことになった。

インドといえば、あのマハトマ・ガンジーが活躍した国である。ガンジーの非暴力・不服従運動は有名であるが、彼女もそうした考えや行動に共鳴するところが大きかった。

その後、彼女はイギリスのオックスフォード大学に留学し、政治学や哲学、それに経済学などを学んだ。

国連本部でも3年ほど勤務したほか、ブータンに滞在したり、また日本の京都大学でも留学生活(85年10月~)を送ったりと、幅広い教養を身に付けると同時に、奥深い海外経験を重ねていった。

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彼女は実際、よく学び、よく働いた。ミャンマーの文学を研究したり、また父(アウン・サン将軍)のことを伝記にまとめたりと、ミャンマーが形成してきた伝統的精神を形にすることにも精を出したのだった。

民主化運動の女性リーダーは、学生時代から勤勉で、優秀だったのである。そんな彼女も、2人の息子をもつ母親であった。結婚は1972年のとき。夫はイギリス人で、ヒマラヤ文化研究家でもあったマイケル・アリス。

「『ミャンマー(ビルマ)』という国名について」

「ミャンマー」という国名について、ひと言。そのような国名になったのは、1989年のことだった。同時に、首都名も「ヤンゴン」と変更された。

では、その前の国名は何だったのかというと、それが「ビルマ」だったのだ。首都は「ラングーン」と呼ばれていた。ただし、これは、軍事政権によって改名されたものだった。

軍事政権による改名だったので、「この名前を認めたくない!」という意見も多い。

それで、本などでは、「ミャンマー(ビルマ)」と表記されていることが多いのである。

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