「レントゲン,W. K.(1845~1923)」(ドイツの物理学者)

■物理学賞(1901年 受賞)

【経歴】

1845年3月27日ドイツ・ライン地方レンネップに生まれる。69年チューリッヒ工科大学機械工学科卒業。74年ストラスブルク大学講師。75年 ホーエンハイム農業アカデミー数学および物理学次席教授。76年ストラスブルク大学物理学教授。79年ギーセン大学物理学主任教授。88年ヴュルツブルク大学主任教授兼物理研究所所長。1900年ミュンヘン大学物理学主任教授。01年ノーベル物理学賞受賞。23年2月10日ミュンヘンで腸癌により死去(享年77歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「X線の発見」により、1901年、記念すべき第1回ノーベル物理学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

今では「X線撮影装置」の名やその検査名、それに「放射線の強さを表す単位」としても使われる、「レントゲン」という言葉。それは、19世紀後半のドイツで活躍した物理学者、ヴィルヘルム・レントゲンの名前から取ったものである。

このように、レントゲンは、X線などの放射線の研究をした人物というイメージがひじょうに強いのだが、もともとは気体の比熱の研究(1870年発表)や、また結晶の熱伝導、それに偏光に関する研究などを手掛けていたのである。

その後、「陰極線菅」に興味をもったレントゲンは、あるとき、この陰極線から、蛍光物質を発光させる「未知の放射線」が放出されていることを発見する。

すなわち、光がもれないように陰極線菅を黒い紙で覆っておいて、そのスイッチを入れると、そばに置いた蛍光物質(白金シアン化バリウムを塗った紙)が、光を発することが確認できたのだ。

ためしに、陰極線菅と蛍光物質の間に分厚い本を置いても、さらには蛍光物質を隣の部屋に置いても、やはり発光現象は認められたのである。「未知の放射線」発見の瞬間だった(1895・11・8)。

発見されたばかりの放射線は、透過性がひじょうに強く、蛍光作用をもち、そして磁場にも曲げられないことなどが分かった。だが、正体は不明だった。

ともかく陰極線から何らかの放射線が放出されていることは分かったので、彼はこれに(数学で「未知数」を意味する「X」を用い)「X線」という名前を付けたのである。(このX線の正体はその後、M.T.F.ラウエの「結晶によるX線回析の研究」(1912年)により、本質的には電磁波であることが明らかにされた)

★〔レントゲン写真第1号には、夫人の「手の骨」が映っていた?〕

レントゲン写真の第1号は、レントゲン夫人の「手の骨」を映したものだった。レントゲンは、陰極線からの放射線の通路に、厚さの異なる物体を置き、写真乾板上に記録すると、異なる透明度に映されることを発見した。

そこで、放射線の通路に、実験的に夫人の手を置いて、それを撮影してみたところ、なんと「手の骨」と夫人が指にはめていた「指輪の影」とが映ったのである。

このレントゲン写真をはじめて見た当時の人々は、相当に驚いたに違いない。

★〔「これだけは!」○×クイズ〕

次の設問に、「○か×か」で答えよ。

1.「ヴィルヘルム・レントゲンは、もともとは気体の比熱の研究や結晶の熱伝導、それに偏光に関する研究などを手掛けていた」

2.「『X線』という名前は、数学で『未知数』を意味する『X』から採用された」

3.「レントゲンは、陽極線から、蛍光物質を発光させる『未知の放射線』が放出されていることを発見した」

答え:1.「○」、2.「○」、3.「×」

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