1985年に共産党書記長に就任したゴルバチョフが、進めていった改革は多い。
中でも「ペレストロイカ」(perestroika)とよばれるものは、日本でもその言葉が有名になったほど、注目された改革だった。
その意味は、「立て直し」。つまり、改革そのもののことだ。
旧ソ連の経済システムである限り、その先も国の経済が思わしくいかないことが、改めて認識された。だから、それを変えるべく、必要な改革をおこなっていった、ということだ。
実際、旧ソ連のような、なんでも中央から指令を出して行うという経済体制(指令型経済)では、ひじょうに効率が悪く、また技術が遅れる要因にもなっていたのである。
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経済を立て直すためには、共産党の一党支配も障害になっていると思われた。そこで、それさえも取り払おうと、必要な処置を画策し、また改革を推進していった。
そして、1987年からは、政治改革と経済改革の、双方の改革にも着手したのだった。しかし、それらの改革によっても、ソ連経済が良くなる兆しはなかった。
けっきょく、ソ連がソ連である限り、打つ手はない、と感じていたのかもしれない、もはや末期状態であるのなら、それを早めたほうがいいのでは?そして、不死鳥のごとく、死んだ灰から新しい国家が再生できれば…と、そのようにも考えていたのかもしれない。
あの時代、ソ連は解体する宿命にもあったのだろう。かくして、ソ連は世界地図から消え、その国がもっていた全ての財産は、ロシアという国に受け継がれた。また国連の常任理事国も、ソ連からロシアへと引き継がれた。
ソ連という大国が燃え尽きて、その灰の中から「新しい大国ロシアと14の小国」が生まれたのである。
「ペレストロイカ」で改革されたものには、次のようなものがある。
1.情報の公開、2.議会の民主化、3.市場原理の採用、4.アメリカとの協調・軍縮
そして、これらの改革の結果、次のような副産物が生まれた。良くも悪くも立て直しの結果である。
1.冷戦終結の実現、2.東ヨーロッパにおける民主化、3.ソ連国内経済の混乱、4.1991年のソ連崩壊とそれに伴う混乱、5.民族紛争
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