「ノーベル平和賞」カテゴリーアーカイブ

ノーベル平和賞受賞者

「デュナン, J. H.(1828~1910)」(スイスの赤十字創設者)

平和賞(1901年 受賞)

【経歴】

1828年5月8日スイスのジュネーブに生まれる。大学を卒業後、青年実業家として早くから慈善活動に参加。44年仲間とともにYMCAを創立。59年イタリア統一戦争に遭遇。傷病者の救護にあたる体験をもつ。62年「ソルフェリーノの思い出」を出版。63年赤十字創設五人委員会を組織。同年ジュネーブで赤十字国際会議が開かれ、16カ国の代表が出席。64年ジュネーブ条約が20ヵ国間で締結される。1901年第1回ノーベル平和賞受賞。賞金はノルウェー、スイスの慈善活動に寄付した。10年10月30日死去(享年82歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

戦場における中立的な救護組織の必要性を説き、かつその提案に基づく赤十字を創設し、また戦時捕虜の待遇を改善した業績などで、1901年第1回のノーベル平和賞を受賞。 続きを読む 「デュナン, J. H.(1828~1910)」(スイスの赤十字創設者)

「ルノー, J. L.(1843~1918)」(フランスの法学者)

平和賞(1907年 受賞)

【経歴】

1843年5月21日フランス、ソーヌ・エ・ロアール県オータンに生まれる。68年からディジョン大学で、また73年からはパリ大学でローマ法、商法、国際法を講義、82年からパリ大学国際法教授。90年以降はフランス外務省で政治法律顧問。99年と1907年にはハーグ国際平和会議委員として会議に出席。06年赤十字憲章改定に大きく貢献。07年ノーベル平和賞受賞。08年、09年のロンドン軍縮会議などにも出席。18年2月8日死去(享年75歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

ジュネーブ交戦規約の諸原則を海戦に適用したことなど、数々の国際(平和)会議において指導的役割を果たし、また06年の赤十字憲章の改定にも大きな役割を果たしてきた功績により、1907年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「ルノー, J. L.(1843~1918)」(フランスの法学者)

「シュヴァイツァー , A.(1875~1965)」(フランスの哲学者・神学者・医師・オルガン奏者 )

平和賞(1952年 受賞)

【経歴】

1875年1月14日当時ドイツ領だったアルザス地方カイゼルベルクに生まれる。ストラスブルグ大学に学び、99年「カントの宗教哲学」により哲学博士号取得。J.S.バッハの研究とパイプ・オルガン演奏に傾倒、また神学研究を進め、02年同大学講師となる。01年「メシアと受難の秘密」、05年「J.S.バッハ」、06年「イエス伝研究史」、11年「パウロ研究史」などを発表(刊行)。05年パリ・バッハ協会創立。06年大学の職を辞め12年医学博士となる。13年アフリカのランバレネに熱帯病病院を建てて医療活動に入る。23年「文化哲学」を刊行。52年ノーベル平和賞受賞。65年9月4日死去(享年90歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

生命の尊厳を倫理観の主なる表現と見た、彼独特の道徳原理に裏打ちされた医療奉仕、また医療伝道を実践してきたことに対して、1952年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「シュヴァイツァー , A.(1875~1965)」(フランスの哲学者・神学者・医師・オルガン奏者 )

「キング, M. L.(1929~68)」(アメリカの牧師)

平和賞(1964年 受賞)

【経歴】

1929年1月15日アメリカ・ジョージア州アトランタに生まれる。48年モアハウス大学(黒人の名門大学)を卒業。55年ボストン大学で神学博士号取得、牧師。56年黒人の差別待遇(白人優先のバス)に対してバス・ボイコットを指導。63年バーミンガムで差別撤廃の大規模なデモを主導。同年8月ワシントンで開かれた大集会で、有名な「I have a dream(私には夢がある)演説」を行う。64年ノーベル平和賞受賞。67年10月バーミンガムで拘置刑を受ける。68年4月4日テネシー州メンフィスで凶弾に倒れる(享年39歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

アメリカにおける人種差別撤廃や黒人の公民権実現に向けた活動を、非暴力抵抗によって展開してきた功績により、1964年ノーベル平和賞を受賞。 続きを読む 「キング, M. L.(1929~68)」(アメリカの牧師)

「キッシンジャー, H. A.(1923~)」(アメリカの政治家・政治学者)

平和賞(1973年 受賞)

【経歴】

1923年5月27日南ドイツのフェルツに生まれる。ユダヤ系のためナチスの迫害を逃れて38年両親と渡米。43年アメリカに帰化、その後ハーバード大学で政治学を専攻。54年博士号を取得後、同大学講師、助教授を経て、62年教授兼国防問題研究室長。69年国家安全保障担当の特別国務補佐官に就任。72年2月ニクソン大統領訪中を実現させる。73年ベトナム和平協定実現、第四次中東戦争収拾にも尽力。同年9月国務長官に就任。ベトナム和平の功績により、レ・ドク・ドとともに73年ノーベル平和賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

米中国交回復や4年越しのベトナム和平交渉の成功など、外交・国防問題に主要な役割を果たした功績により、1973年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「キッシンジャー, H. A.(1923~)」(アメリカの政治家・政治学者)

「ベギン, M.(1913~92)」(イスラエルの政治家)

平和賞(1978年 受賞)

【経歴】

1913年8月16日当時ポーランド領であったブレストに生まれる。ワルシャワ大学卒業後、ベタル(シオニズム組織)のポーランド支部長として活動。40年ソ連治安当局からイギリスのスパイ容疑で逮捕されシベリアに送られる。43年「イルグン・ツヴァイ・レウミ」を再編成し3代目司令官となる。48年イスラエル独立後は組織を解散、「ヘルート」(自由党)を創立し党首となる。49年国会議員。73年右翼連合リクードを結成、党首となる。77年5月首相に就任。78年エジプトと和平交渉を達成、これでノーベル平和賞受賞。79年エジプトとの平和条約に調印。81年首相に再選。83年辞意表明、以後執筆活動に専念。92年3月9日死去(享年79歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

エジプトと初めて和平交渉を開始したことで、その後の中東の緊張緩和に寄与した功績により、エジプトのサダト大統領とともに、1978年ノーベル平和賞を受賞。 続きを読む 「ベギン, M.(1913~92)」(イスラエルの政治家)

「ダライ, L.(1935~)」(中国の政治家・宗教指導家)

平和賞(1989年 受賞)

【経歴】

1935年7月6日チベット東北部タクツェル村の農家に生まれる。39年先代ダライ・ラマ13世の転生者と認められ、4才で14世ダライ・ラマに即位。15才で祭政の最高位に就く。その後チベットの中立を守り、中国と対立。51年平和解放のチベット協定を結ぶ。53年中国仏教協会名誉会長、59年3月住民10万人とともに、ヒマラヤを越えインドへ亡命、亡命政府を樹立。79年チベット解放運動を指導。89年ノーベル平和賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

無抵抗平和主義の独立運動をチベット全住民に呼びかけ、チベットの解放運動を指導、少数民族としての権利獲得を訴えてきたことで、89年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「ダライ, L.(1935~)」(中国の政治家・宗教指導家)

「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)

平和賞(1990年 受賞)

【経歴】

1931年3月2日ロシアのスタプロボリ州プリボルノエ村に生まれる。52年ソ連共産党に入党。55年モスクワ大学法学部卒業。66年~68年スタプロボリ地方党委第2書記、70年~78年同第1書記、84年4月最高会議外交委員長、85年3月党書記長、88年10月最高会議幹部会議長就任、89年5月新設の最高会議議長となり、ソ連の最高指導者となる。90年3月共産党一党独裁をやめ、大統領制を導入し、初代大統領に就任。しかし国内経済の悪化や緒共和国の分裂は避けられず、ソ連共産党の実質的解体を宣言。ゴルバチョフ財団を創設、総裁に就任。90年ノーベル平和賞受賞。国際緑十字初代会長に就任。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

東西両陣営間の対決を緩和し、地域紛争の解決に役立ち、米ソ間の冷戦終結に貢献した功績により、1990年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)