「キッシンジャー, H. A.(1923~)」(アメリカの政治家・政治学者)

平和賞(1973年 受賞)

【経歴】

1923年5月27日南ドイツのフェルツに生まれる。ユダヤ系のためナチスの迫害を逃れて38年両親と渡米。43年アメリカに帰化、その後ハーバード大学で政治学を専攻。54年博士号を取得後、同大学講師、助教授を経て、62年教授兼国防問題研究室長。69年国家安全保障担当の特別国務補佐官に就任。72年2月ニクソン大統領訪中を実現させる。73年ベトナム和平協定実現、第四次中東戦争収拾にも尽力。同年9月国務長官に就任。ベトナム和平の功績により、レ・ドク・ドとともに73年ノーベル平和賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

米中国交回復や4年越しのベトナム和平交渉の成功など、外交・国防問題に主要な役割を果たした功績により、1973年ノーベル平和賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

ヘンリー・キッシンジャーは、南ドイツ生まれのユダヤ系アメリカ人・政治学者であった。

キッシンジャーは1969年、当時のニクソン大統領のもとで、国家安全保障担当の特別国務補佐官に就任すると、その頭角をメキメキと現していった。

まず、71年7月、アメリカと中国の国交回復のために、事前に中国を秘密裡に訪問している。それも、翌年72年2月に予定されていたニクソン大統領の訪中を実現させるための忍者外交であったのだ。当時、中国の最高指導者は、周恩来だった。

かくして、冷戦以来はじめての、米中・指導者どうしの会談が実現し、これが両国にとっては、歴史上の大きな転換点ともなった。

73年には、パリでベトナム和平協定に調印し、4年越しのベトナム和平交渉にも成功するなど、外交や国防の問題において、きわめて重要な役割を果たしてきたのだ。

これらの功績により、73年に北ベトナムのレ・ドク・ドとともにノーベル平和賞を贈られたのだ。ちなみに、彼のとった外交スタイルは「デタント外交」(※)と呼ばれている。

キッシンジャーの著書には、ハーバード大学で教授兼国防問題研究室長をしていたときに書いた「核兵器と外交政策」(1957年)、それから「アメリカの外交政策」、「H.A.キッシンジャー・世界はこう動く」、「キッシンジャー回顧録」(1979年)などがある。

★〔ノーベル平和賞受賞後もアメリカの平和に貢献〕

1974年にニクソン大統領が辞任した後も、キッシンジャーは次の大統領である、フォード大統領のもとで、やはり国務長官を務めている。つまり、留任しているのである。

その外交手腕はそうとう買われていたのだろう。とくに核兵器の交渉に長けていたのだ。

著書の一つである「核兵器と外交政策」で、彼はこの道の専門家としても認められるようになっていたのだ。

実際、フォード大統領の時代には、ソ連との核ミサイル軍縮交渉にも努めたりした。75年になると、大統領補佐官を解任、77年1月には国務長官も辞任。

その後は、中米政策に関する大統領諮問委員会委員長(84年)、またブッシュ政権では大統領外国情報諮問委員会委員(90年に辞任している)を経て、キッシンジャー・アソシエーツ社のコンサルタント、レブロン社の取締役、CBSテレビ副社長など、大手企業の役員までを兼任してきた。

★〔「これだけは!」キーワード〕

【デタント】

「1973年以降、アメリカとソ連の2国間にとられた緊張緩和政策」のことをいう。この「デタント」(d?tente)という言葉の意味自体は、弓が引かれて張られた状態にあったもの(つまり緊張状態)が、元に戻るように緩まることを示している。

もともとは、アメリカ大統領に就任したニクソンが、当時(1969年)泥沼化していたベトナム戦争を収拾するための平和戦略として、提唱したことに端を発している。

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