「ルノー, J. L.(1843~1918)」(フランスの法学者)

平和賞(1907年 受賞)

【経歴】

1843年5月21日フランス、ソーヌ・エ・ロアール県オータンに生まれる。68年からディジョン大学で、また73年からはパリ大学でローマ法、商法、国際法を講義、82年からパリ大学国際法教授。90年以降はフランス外務省で政治法律顧問。99年と1907年にはハーグ国際平和会議委員として会議に出席。06年赤十字憲章改定に大きく貢献。07年ノーベル平和賞受賞。08年、09年のロンドン軍縮会議などにも出席。18年2月8日死去(享年75歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

ジュネーブ交戦規約の諸原則を海戦に適用したことなど、数々の国際(平和)会議において指導的役割を果たし、また06年の赤十字憲章の改定にも大きな役割を果たしてきた功績により、1907年ノーベル平和賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

ジャン・ルイス・ルノーは、商法と国際法を専門とするフランスの法学者であった。

1890年からは、フランス政府外務省の顧問(国際間の政治法律顧問)として活躍。国際会議などにおいて、法律の問題が絡む国際政治には、常にフランス政府の代表団の一員として出席していたのである。

このように、彼は国際法の観点から、種々の外交政策をアドバイスする立場にもあった。フランス政府にとっても、ルノーはとても頼りになる存在だったと思われる。そのルノーという人物、国際間におけるさまざまな紛争の解決法にも力を注いでいた。

国際紛争のような問題には、国際的な法的判断とその決定にゆだねるとした一般原則を重要視していたのである。こうした国際仲裁には、とくに熱心だったことが窺える。

1899年と1907年にハーグで開催された国際平和会議(※【ハーグ国際平和会議】参照)に出席した際には、オランダのT.アセルとともに指導的役割を果たし、会議を成功に導いたのだった。そんなルノーには持論があったという。

すなわち、各国が係争中のもろもろの問題点を、理性的に話し合うことさえすれば、自ずと「国際生活の法理」に達することができ、それが平和主義の発展に必要な雰囲気を醸し出していくのである、ということだ。

1907年に贈られたノーベル平和賞の受賞理由も、まずは国際会議で、ジュネーブ交戦規約の諸原則を海戦に適用するようにしたこと、また06年の赤十字憲章の改定に大きな役割を果たしてきたことなどが挙げられている。

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