「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)

平和賞(1990年 受賞)

【経歴】

1931年3月2日ロシアのスタプロボリ州プリボルノエ村に生まれる。52年ソ連共産党に入党。55年モスクワ大学法学部卒業。66年~68年スタプロボリ地方党委第2書記、70年~78年同第1書記、84年4月最高会議外交委員長、85年3月党書記長、88年10月最高会議幹部会議長就任、89年5月新設の最高会議議長となり、ソ連の最高指導者となる。90年3月共産党一党独裁をやめ、大統領制を導入し、初代大統領に就任。しかし国内経済の悪化や緒共和国の分裂は避けられず、ソ連共産党の実質的解体を宣言。ゴルバチョフ財団を創設、総裁に就任。90年ノーベル平和賞受賞。国際緑十字初代会長に就任。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

東西両陣営間の対決を緩和し、地域紛争の解決に役立ち、米ソ間の冷戦終結に貢献した功績により、1990年ノーベル平和賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

ミハイル・ゴルバチョフは、1952年にソ連共産党に入党して以来、次々と党の要職を歴任してきた逸材だった。

88年10月に最高会議幹部会議長に就任すると、内政ではペレストロイカ(改革)、外交ではノーボエ・ムイシュレーニエ(新思考)とよばれる行動方式を掲げてきた。

それらの成果の中には、「アフガニスタンからの軍事撤退」、「東欧の自由化や民主化の許容」、「アメリカとの軍縮・軍備管理の促進」、また「韓国とソ連の国交正常化」などがある。

89年5月には、最高会議議長に選出され、こうしてついにソ連の最高指導者となった。

ゴルバチョフは、中国とソ連の関係を正常化させるための訪中、またローマ法王ヨハネ・パウロ2世との会見のためのバチカン公式訪問、さらにはアメリカのブッシュ大統領との歴史的な会談(「マルタ会談」)を行うなど、外交面でも華々しい活躍ぶりをみせた。

彼はソ連経済を立て直すために、アメリカとも協調していける「ペレストロイカ」政策をとったのだ。そして90年3月には、共産党一党独裁をやめ、初の大統領制を導入、自らがソ連の初代大統領に就任した。また東ヨーロッパ諸国の民主化も支持したのである。

彼の改革はこのように、実に多くの面にわたっていった。そして同じ年の12月には、ついに憲法の改正にも着手。また大規模な政治機構の改革までを断行した。

こうなると、黙っていないのが軍部の保守派であることは、古今東西変わらない。御多分に漏れず91年8月、軍部保守派がクーデターを起こしたのだった。

これにより、ゴルバチョフは失脚するが、クーデターは早くも2日後に鎮圧され、3日後には復権。むしろ、ソ連共産党の体制崩壊の足音は、これがもとで一段と高くなっていった。

ゴルバチョフは共産党書記長を辞任し、ソ連共産党中央委員会の解散を勧告、次いでソ連共産党の実質的解体を宣言。この解体にともない、大統領を辞任!

この辞任表明により、問題の1991年、ついにソ連は消滅したのだった(12月25日)。

★〔「これだけは!」○×クイズ〕

1.「ゴルバチョフは、南北両陣営間の対決を緩和し、米ソ間の冷戦終結に貢献した」

2.「ゴルバチョフは失脚したが、クーデターは半年後に鎮圧され、1年後に復権できた」

3.「ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、ゴルバチョフとは会見しなかった」

答え:1.「×」、2.「×」、3.「×」

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