「メーテルリンク, M.(1862~1949)」(ベルギーの詩人・劇作家)

■文学賞(1911年 受賞)

【経歴】

1862年8月29日ベルギーのガンに生まれる。ガン大学で法律を学んだのち、85年パリに出る。『ラ・プレイヤード』誌に拠って詩壇に登場。89年に詩集「温室」と処女戯曲「マレーヌ王女」を上梓。20世紀に入って心理劇、写実劇に転じる。1911年ノーベル文学賞受賞。49年5月6日オルラモンドで死去(享年87歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「『蜜蜂の生活』、『青い鳥』など、これまでの全作品」に対し、1911年ノーベル文学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

詩集、戯曲、劇作などで多くの作品を残した、モーリス・メーテルリンク。メーテルリンクと聞いて、真っ先に思い出すのが、あの『青い鳥』(1908年発表)かもしれない。

追い求めていた「幸福」は、けっして遠い処にあるのではなく、最初から手の届くところにあった。それは他人を幸福にすることだった、といったメッセージが込められた『青い鳥』は、彼のもっとも有名な「戯曲童話」ともなっている。

この作品は、主人公が子供ということもあり、子供にとって親しみやすく、また読みやすい内容となっている。その一方で、「死とは何か?」「幸福とは何か?」といった「哲学的な示唆」にも富んでいて、それが大人をも物語に引き込ませる魅力になっている。

実際、この作品は各国の言葉に翻訳され、また映画化までされて、世界中の人々から親しまれてきたのである。

★〔あのドビュッシーと争って負けたメーテルリンク〕

劇作のほうでは、『ペレアスとメリザンド』という作品がオペラ化され、これが有名になるとともに、メーテルリンクの劇作家としての地位も固まっていった。

だが1902年の初演では、美しく清らかな女性メリザンド役を自分の妻に演じさせる予定だったのだが、オペラ化したクロード・ドビュッシーが違う女性にその役を与えたことから、これが争いに発展。

メーテルリンクは作品の上演許可を取り下げ、裁判に持ち込むことまでした。しかし、結局はドビュッシーが勝利したという。

まるで、劇作家本人が悲劇の主人公になってしまったかのようだ。

★〔主にどんな作品があるか〕

「闖入者」(1890年)、「盲人達」(1891年)、「ペレアスとメリザンド」(1893年)、「貧者の宝」(1896年)、「知恵と運命」(1898年)、「蜜蜂の生活」(1901年)、「モンナ・バンナ」(1902年)、「青い鳥」(1908年)、「スチルモンドの市長」(1919)、「結婚」(1922)、「白蟻の生活」(1927年)

★〔「これだけは!」○×クイズ〕

次の設問に、「○か×か」で答えよ。

1.「メーテルリンクは、ベルギーの詩人である」

2.「メーテルリンクの作品の一つに、『イモ虫の生活』がある」

3.「『ペレアスとメリザンド』は、モーツァルトによってオペラ化された」

4.「『青い鳥』は、「戯曲童話」である。」

5.「ドビュッシーは、メリザンド役を自分の妻に演じさせたかった」

(答え:1「○」、2「×」、3「×」、4「○」、5「×」)

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