「マン, T(1875~1955)」(ドイツの作家・批評家)

■文学賞(1929年 受賞)

【経歴】

1875年6月6日ドイツのリューベックに生まれる。93年実科高等学校を中退しミュンヘンに移住、火災保険会社の見習い社員となる。94年処女作「転落」を発表。1901年長編小説「ブデングローク家の人々 ― ある家族の没落」を発表、作家としての地位を確立。その後「魔の山」など多くの作品を発表。29年ノーベル文学賞受賞。38年アメリカに移住、プリンストン大学客員教授。44年アメリカの市民権を獲得。49年ゲーテ賞受賞。55年8月12日死去(享年80歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

ドイツの小説を世界的水準にまで高めることに寄与し、新しい人間像の樹立に努めてきた功績により、「魔の山」までの創作活動に対して、1929年ノーベル文学賞を受賞。

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★〔その業績や活動〕

トーマス・マンは、1896年から兄のハインリッヒと共にイタリアに滞在し、その地で作家活動を続ける。兄のハインリッヒ・マンも、作家として活躍していた。

98年に帰国して、1901年には長編小説「ブデングローク家の人々 ― ある家族の没落」を発表。内容は、ある裕福な家庭が没落するまでを4代にわたって描いたもの。実はこれ、自分の家をモデルにしたものだった。

この作品以降、「トニオ・クレーゲル」(1903年)、「フィオレンツァ」(1904年)と、次々に作品を発表。「フィオレンツァ」は彼の唯一の戯曲作品となった。

その後も「大公殿下」(1909年)、「ヴェニスに死す」(1912年)、そして「魔の山」(1924年)などを書き上げていく。

これらの文学作品の中で、マンはアイロニー、パロディー、神話に対する心理学の応用、ライトモチーフ手法など、新しい「語り方」の可能性を試みた。そして、「象徴的リアリズム」と呼ばれた実験的作品の数々を生み出したのである。

長編「魔の山」では、ドイツ・ロマン主義的な「死の共感」を、民主主義的な「生への奉仕」に転換、世界観の組替えを示した、とも評価されている。

こうした創作活動に対して1929年、ノーベル文学賞が贈られたのである。

★〔「ヒトラー打倒」を呼びかける、反ナチ活動家でもあった〕

1929年のノーベル文学賞受賞後の頃から、ファシズムの危険を警告し始めるようになる。

反ナチ活動からアメリカに亡命、市民権を得ると、「来たるべきデモクラシーの勝利について」(1938年)の講演を行ったり、ラジオを通じて、ドイツの青年層にデモクラシーの支持を勧めたり、また「ドイツの聴取者諸君」(1942年)では、ヒトラー打倒を呼びかけたりもしたという。

戦後(1949年)、東西ドイツからゲーテ賞を贈られたマンは、その後もドイツ統一を願ういろいろな活動に従事していたことが知られている。

★〔「これだけは!」○×クイズ〕

次の設問に、「○か×か」で答えよ。

1.「トーマス・マンの兄であるハインリッヒ・マンも、作家として活躍していた」

2.「長編小説『ブデングローク家の人々 ― ある家族の没落』は、自分の家をモデルにしたものだった」

3.「『トニオ・クレーゲル』は、兄ハインリッヒ・マンの作品である」

4.「『フィオレンツァ』は、トーマス・マンの唯一の戯曲作品ではない」

5.「トーマス・マンは第二次世界大戦中、大衆にヒトラー打倒を呼びかけた」

(答え:1「○」、2「○」、3「×」、4「×」、5「○」)

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