「ショー, G. B.(1856~1950)」(イギリスの劇作家・小説家・批評家)

■文学賞(1925年 受賞)

【経歴】

1856年7月26日アイルランドの首都ダブリンに生まれる。貧困のため小学校卒業後、働きながら独学で勉強。84年社会主義者団体フェビアン協会設立に参加。85年『ペル・メル・ガゼット』誌に書評を寄稿。その後も各雑誌に美術批評や音楽批評を多数寄稿。92年戯曲「男やもめの家」、93年「ウォレン夫人の職業」を発表して、劇作家として認められるようになる。その後も次々と戯曲を発表。1925年ノーベル文学賞受賞。50年11月2日死去(享年94歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

戯曲を中心とした多くの作品に対して、1925年ノーベル文学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

英米文学界の重鎮として長いこと君臨してきたジョージ・バーナード・ショーも、20代のころ書き上げた長編小説(「未熟」「キャシェル・バイロンの職業」など5編)では成功しなかったといわれる。それが1880年代の中頃のこと。

その後、ショーは演劇評論家ウィリアム・アーチャーと親交をもち、イプセンの研究などを土台に、劇作家としての道を歩んでいくことになる。

1892年に発表した、処女戯曲「男やもめの家」は、演劇の世界に新たな旋風を巻き起こし、その翌年に発表された「ウォレン夫人の職業」もまた、大きな反響を呼び起こしたのである。こうして1890年代には、劇作家としての確固たる地位を築いたのだった。

★〔一流の批評家であり、また一流の毒舌家でもあった?〕

バーナード・ショーは、新聞や雑誌に「美術・音楽・演劇の批評」を寄稿し、それで名声を得たが、他に「一流の(?)毒舌家」としても有名であった。

自分の天才さを触れまわる一方、他人のことは辛らつに批判し続けたため、同時代の批評家たちからは、いわゆる「嫌なやつ」と思われていたようだ。彼の死後はとくに、その評価が落ちたとも伝えられる。

毒舌の彼はまた、「ノーベル賞の中に文学賞があることはおかしい!」ということまで言っていたらしい。だが、そのように主張する本人に、ノーベル文学賞受賞の知らせが届いたときには、どう思ったのだろうか?辞退もせず、ちゃんと受賞しているわけだが?(賞金は寄付したという)。

★〔主にどんな作品があるか〕

「未熟」(1879年)、「キャシェル・バイロンの職業」(1886年)、「男やもめの家」(1892年)、「ウォレン夫人の職業」(1893年)、「キャンディダ」(1894年)、「わからぬものですよ」(1896年)、「悪魔の弟子」(1897年)、「シーザーとクレオパトラ」(1898年)、「人と超人」(1903年)、「バーバラ少佐」(1905年)、ミュージカル「ピグマリオン」(1913年)、「メトセラに還れ」(1921年)、「聖女ジョーン」(1923年)、「りんご運搬車」(1929年)、「ジュネーヴ」(1938年)

★〔「これだけは!」二択クイズ〕

1.「バーナード・ショーが名声を得たキッカケは?」

A「テレビ出演」orB「新聞等への批評の寄稿」

2.「バーナード・ショーは、批評家であると同時に○○家だったか?」

A「演説家」orB「毒舌家」

3.「1892年に発表した、処女戯曲の題名は?」

A「男やもめの家」orB「人と超人」

(答え:1「B」、2「B」、3「A」)

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