「エリオット, T. S(1888~1965)」(イギリスの詩人・批評家)

■文学賞(1948年 受賞)

【経歴】

1888年9月26日アメリカのセント・ルイスに生まれる。ハーバード大学やオックスフォード大学に学ぶ。1915年イギリスに定住し、高校教師や銀行員として生計を立てながら、創作活動を続ける。17年のとき処女詩集「プルーフロックの恋歌」を発表。20年には文芸評論集「聖なる森」を発表。22年に季刊誌『クライティーリオン』を創刊(第二次世界大戦の直前に廃刊)、また長編詩「荒地」も発表。44年詩集「四つの四重奏」を発表。48年ノーベル文学賞を受賞。65年1月4日死去(享年77歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

現代詩劇の先駆けとなった、新しい詩的言語の創造など、そうした功績により、1948年ノーベル文学賞を受賞。

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★〔その業績や活動〕

T.S.エリオットは、17世紀にイギリスからアメリカに移住した由緒ある家系で、実業家の子として生まれた。その後、1915年にはイギリス女性と結婚し、イギリスに定住することになる。27年にはイギリスに帰化し、イギリス国教会の信者ともなっている。いわば、アメリカ生まれのバリバリのイギリス人といったところか。

大学では、哲学についての博士論文を出したが、学位は取らずじまいだったという。そんな彼も高校の教師や銀行員(ロイド銀行)を勤めながら、詩などの創作活動は続けていった。

そして、1917年のときに「プルーフロックの恋歌」という処女詩集を発表。すると、これが詩壇の注目を集めるようになり、彼は詩壇にデビューを果たしたのである。

20年のとき発表した文芸評論集「聖なる森」の中の、「伝統と個人の才能」はとくに高い評価を受けた。

★〔現代詩劇の先駆者となったT.S.エリオット〕

エリオットは、詩のみならず文芸批評や劇作などにおいても、強い影響力持つ作家であった。また、彼独特のアイロニカルな詩的表現も注目されていた。

あの処女詩集「プルーフロックの恋歌」でも、その独特の語り口が巧みな効果をあげていると指摘された。

さらに、22年に発表された「荒地」ともなると、その新しい詩的言語は、当時の保守的な詩壇に衝撃を走らせたほど、斬新的なものと映っていた。

この「荒地」は、エリオットが自分独自の誌のスタイルを見出そうと、それを完成させる過程で実験的に創作した詩の表現を取り入れたものだった。その結果、この作品は外国のみならず、日本の現代詩にも、大きな影響を与えることになったのである。

彼は詩劇にも関心を寄せ、「寺院の殺人」(1935年)、「一族再会」(1939年)、「カクテル・パーティ」(1949年)などを発表。

これらの作品によって、エリオットは「宗教的な主題を世俗的な設定の中に描き、現代詩劇の先駆者となった」と言われるとおり、こうした功績により1948年にはノーベル文学賞を贈られたのである。

★〔主にどんな作品があるか〕

「プルーフロックの恋歌」(1917年)、文芸評論集「聖なる森」(1920年)、長編詩「荒地」(1922年)、「聖灰水曜日」(1930年)、「寺院の殺人」(1935年)、「一族再会」(1939年)、「四つの四重奏」(1944年)、「文化の定義のための覚書」(1948年)、「カクテル・パーティ」(1949年)

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