「ラザフォード,E.L.N.(1871~1937)」(イギリスの物理化学者)

■化学賞(1908年 受賞)

【経歴】

1871年8月30日ニュージーランドのネルソン近郊のスプリンググローブに生まれる。92年クライストチャーチのカンタベリー・カレッジにて理学士取得。93年同カレッジにて数学と物理学の分野で修士号取得。その後イギリスに渡り、98年ケンブリッジ大学卒業。1907年マンチェスター大学教授。19年キャベンディッシュ研究所所長。23年イギリス科学振興協会会長。25年王立協会会長。37年10月19日ケンブリッジにて死去(享年66歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「元素の放射能崩壊理論の形成、α粒子の本性の解明、原子核の発見」などにより、1908年ノーベル化学賞を受賞。

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★〔その業績や活動〕

アーネスト・ラザフォードは、イギリスの物理学者だが、その後「核物理学の父」と呼ばれるほど、核物理学の分野で実に多くの研究業績をあげている。

まず、イギリスに渡ってからは、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で、原子物理学の研究を、そしてマンチェスター大学では、有核原子模型や元素の人工変換の研究などをおこなった経緯がある。

このうちの「有核原子模型」というのは、原子の中心核の周囲を電子が回っている構造をした原子模型であり、これはまるで、太陽の周りを惑星が回っている太陽系のモデルを想起させるものだった。

彼は、そうした原子の構造を実験などによって実証したのである。また、ラザフォードは放射能が原子の崩壊によって生じることなども説明。

同時に、α粒子が電子を取られたヘリウムの原子核(ヘリウムのイオン化)であることも発見した。ノーベル化学賞を受賞した業績も、ここにある。

このように、ラザフォードが「核物理学の父」と呼ばれるようになるのは、彼が、史上はじめて「元素の人工変換」を成し遂げ、その後の核物理学の発展にも多大な貢献を与えたことによるのである。

★〔「中性子」の存在まで予言、10年後に弟子がそれを発見!〕

原子核の存在を実証することに成功したラザフォードは、次に(当時は未知の粒子であった)「中性子」の存在まで予言していた(1920年)。当時知られていた粒子とは、「電子」「陽子」そして「光子」だけだったのだ。

そして1932年、実際に中性子が存在することが、弟子のジェームス・チャドウイックによって確認されることになる。チャドウィックは、この「中性子の発見と研究」により、1935年ノーベル物理学賞を受賞。

つまり「師弟でノーベル賞受賞!」ということになる。

★〔次々と発見されていった素粒子〕

【発見された素粒子】【発見者名】(発見の年)【ノーベル賞受賞年】

「電子」・・ジョゼフ・ジョン・トムソンによる(1897年) 1906年

「陽子」・・アーネスト・ラザフォードによる(1914年) 1908年

「中性子」・・ジェームス・チャドウイックによる(1932年) 1935年

「陽電子」・・カール・デヴィッド・アンダーソンによる(1932年) 1936年

「ニュートリノ」・・ライネスとコーワンにより存在を確認(1956年)

「中間子(π,μ)」・・セシル・フランク・パウエルによる(1947年) 1950年

「μニュートリノ」・・レオン・M・レーダーマンらによる(1962年) 1988年

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