経済学賞(1976年 受賞)
【経歴】
1912年7月31日アメリカ・ニューヨーク市ブルックリンに生まれる。32年ラトガーズ大学卒業、シカゴ大学大学院に進学。33年修士号取得。同年コロンビア大学に移る。35年NRC(国家資源委員会)研究員。37年NBER(全米経済研究所)研究員。40年ウィスコンシン大学客員教授。41年連邦政府財務省租税調査局主任研究員。43年コロンビア大学統計調査グループ次長に就任、戦時経済研究プロジェクトに携わる。45年博士号取得、ミネソタ大学助教授。46年シカゴ大学准教授。48年同大学教授。57年行動科学高等研究センター研究員。66年アメリカ経済学会会長、マーシャル計画事務局顧問、インド財務省顧問。76年ノーベル経済学賞受賞。77年スタンフォード大学フーバー研究所上級研究員。
【受賞理由となった業績や活動】
★〔受賞理由〕
「通貨理論に関する一連の研究」(消費分析・通過理論の実績と経済安定政策の実証など)に対して、1976年ノーベル経済学賞受賞。
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★〔その業績や活動〕
アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは、1956年に「貨幣数量説の研究」、それから「貨幣数量説-ひとつの再説」という本を出版した。
この中で、貨幣数量が物価水準を決定するという、「貨幣数量説」(※)の理論的説明を試みている。
そして、「インフレは、いつでもどこにでもある貨幣的な現象である!」と述べた。
彼は、貨幣量の変化が長期的に物価上昇率に影響を与えること、すなわちインフレは、貨幣的現象であることを主張していたのである。
フリードマンの貨幣理論は、「新貨幣数量説」(マネタリズム)と呼ばれている。
それに対して、「ケインズ経済学」というものがある。こちらのほうは、貨幣数量が一国の経済に対して、重要な役割を果たしているとは考えていなかった。
その提唱者であるケインズは、金本位制を否定していて、その代わりに「管理通貨制」というものを唱えていた。積極的に公共投資をおこなっていくことによって、雇用の回復は得られるという、マクロ経済政策である。
この「ケインズ経済学」は第二次世界大戦後、アメリカ経済の支配的な位置を占めていたのである。
ところが1970年代の初頭、アメリカで高インフレ現象が起こり、これに高い失業率が伴っていた。しかも国の財政政策によっても、あまり思わしい効果が見られなかった。
そしてこれ以降は、しだいにフリードマンによる「新貨幣数量説」(マネタリズム)の方に価値が置かれるようになっていったのだ。
なにしろ、マネタリスト(フリードマンとその弟子たち)には、豊富な実績と実証(消費分析・通過理論の実績と経済安定政策の実証など)があったのである。
フリードマンには、自由主義論者としての側面もあった。
彼は、政府が経済に介入したり、それを統制したりすることは極力抑えるべきで、むしろ自由社会を維持していくことのほうが重要であると唱えていたのである。公共事業も民営化していくのが良いと考えていたようだ。
★〔「これだけは!」キーワード〕
【貨幣数量説】
Mv=PY(M:貨幣数量、v:貨幣の流通速度、P:物価水準、Y:実質GDP)
「貨幣数量説」を唱えていた人たちは、この、まるで物理学に出てくるような式をもちいて、「(たとえば)中央銀行が貨幣数量(M)をコントロールすることで、物価水準(P)を上昇させることも、あるいは下降させることもできる」と示したという。
数式をもとに説明されると、やっぱり説得力を感じてしまうが、実際のところはどうなのだろうか?
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