「パウリ, W.(1900~58)」(スイスの物理学者)

■物理学賞(1945年 受賞

【経歴】

1900年4月25日ウィーンに生まれる。ウィーンで初等教育を受けた後、ミュンヘン大学に入学。21年博士号取得。28年チューリッヒの連邦工科大学教授。35年~36年アメリカのプリンストン高等研究所客員教授。31年と41年にはミシガン大学、42年パーデュウ大学客員教授。45年ノーベル物理学賞受賞。58年12月15日チューリッヒにて死去(享年58歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「パウリ禁制原理の発見」により、1945年ノーベル物理学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

1913年に発表された「ボーアの原子模型」(原子モデル)では説明がつかない幾つかの実験的事実が、1920年代にはすでに発見されていた。ボーアの理論だけでは、原子内の電子エネルギーの性質を理論的に説明できなくなったのだ。

ウォルフガング・パウリは1925年に、それを説明できる新しい考えを発表。その中で、「パウリ禁制原理(排他原理)」、あるいは「パウリの禁止則」と呼ばれるものも提唱したのだった。これは「原子内では2つ以上の電子が同時に、同じ4種類の量子数をもつことができない」というものである。

要するに、「電子のそれぞれの軌道には、そこに入れる電子の数が決まっている」ということ。だから「それ以上の軌道への立ち入り禁止!」といった感じだ。

パウリは他にも、あのハイゼンベルグと共に「場の量子論」(1929年)を定式化し、「量子電気力学」を展開したりもした。1931年には、β崩壊(β粒子の放出)の際、電荷も質量ももたない粒子が放出されることを予言。

これは1956年に発見された、あの「ニュートリノ」(中性微子)のことであった。

★〔物質の極微の世界の探究にかけた、「量子論」の開拓者たち〕

人類は、物質の根源を探ろうと、長いことその極微の世界を追い求めてきた。そして、遂に「もうこれ以上は分割できないという《原子》」にまで迫り、さらにそれを構成している陽子や電子、果てはもっと極微な素粒子にまで行き着いたのだった。

次に、こうした粒子の性質を調べていくと、それが「物質粒子」としての側面をもつと同時に、「波動」としての側面をも有していることが分かった。

物質を構成している粒子であっても、ここまで極微の世界に達すると、もはやマクロの世界での物理学的な常識が通用しなくなるのである。

時代は、もっと極微の世界を説明できる(これまでの物理学を一新するような)、新しい物理学を渇望する、そんな雰囲気に覆われていった。

まさに、そうした時代に現れ、新しい観点からの「物質の科学」を築き上げていったのが、前項までに紹介したド・ブローイ、ハイゼンベルグ、シュレーディンガー、そしてパウリといった「量子論者」たちだったのである。

★〔「パウリの禁止則(排他原理)」についての豆知識〕

何が「禁止」なのかというと、「原子内のある空間(軌道)に、互いに重なり合って存在することができるのは、2個の電子までで、それ以上はダメ(禁止)」ということ。

というのも、電子のスピンの方法には2つの場合があり、一つの電子があるスピンの方法で自転していれば、もう一つの電子は、別のスピン状態にあって、もはやそれ以上の電子(つまり2個以上)を同じ空間に収めきることができないのである。

《この「電子のスピンの違い」のことは、スピンが左向きと右向きでの違いといってもよい。言い換えると、スピンが左向きと右向きの電子が1個ずつ、計2個までしか、1つの空間(軌道)には存在できないのである。》

だから、すでに2個の電子によって、ある空間領域が占有されている場合は、別の電子は(同じ領域に入ることはできないので)、自ずと他の空間の居場所を見つけなければならない。そのことが「排他原理」でいう「排他」ということなのだ。

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