「アインシュタイン,A. (1879~1955)」(ドイツの物理学者)

■物理学賞(1921年 受賞)

【経歴】

1879年3月14日ドイツ・ウィッテンベルクのウルムに生まれる。1900年スイス連邦工科大学卒業。01年スイス連邦特許局技師。05年博士号取得(理論物理学)。09年チューリッヒ大学教授。11年プラハ大学教授。12年スイス連邦工科大学教授。14年ベルリン大学教授。21年ノーベル物理学賞受賞。33年プリンストン高等研究所入所。55年4月18日死去(享年76歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「光電効果の法則を発見した功績」により、1921年ノーベル物理学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

アインシュタインは、1901年からスイス連邦特許局に技師として働き、その傍ら理論物理学の研究に専念。そして1905年に、5つの論文を発表した。それらのうち3つの論文は、とくに物理学的に重要なものばかりだった。

その一つは、「ブラウン運動」に関するもの。それによって粒子の大きさや運動が予言できるようになった。次に、「光電効果」に関するものがあった。

これは、波長に特有な一定のエネルギーをもつ量子でできている光は、金属に吸収されると、一定のエネルギーをもつ電子を放出するという理論だ。簡単にいうと「金属に光を当てると電子が飛び出す」というものだ。

3番目の重要な論文は、「特殊相対性理論」に関するもの。これにより「光速度不変の原理」と「特殊相対性原理」などを打ち出した。

その後もアインシュタインの革命的な思考実験は続き、1915年には「一般相対性理論」を発表。光が重力により曲げられることを示したうえ、それまでの時間と空間の考えを一新させるだけのインパクトをもったものだった。

ところが、1921年のノーベル物理学賞は、「相対性理論の発見」に対して贈られたものではなく、「光電効果の発見」に対して贈られたものだったのだ。

もちろん、光電効果の発見も重要なものには違いないが、それ以上に2つの相対性理論が物理学に与えた影響は大きかったはずである。なぜ、受賞理由の中に「相対性理論を発見したことの功績」がなかったのか?

ひとつには、当時「相対性理論」を本当に理解できる人は、世界でも限られていたため、それを評価するのが難しかった、ということもあるらしい。

★〔天才は、時にして遅咲きか?アインシュタインの子供時代〕

南ドイツのウルムで生まれたアインシュタインは、後世に世界をアッと言わせるスーパー理論を構築するわりには、あまりパッとしない幼少期を過ごしていたようだ。

それどころか、普通の子供よりも口をきくのが遅かったために、「この子は知恵遅れではないのか?」とも思われていたくらいである。

学校にあがってからも語学はまるでダメ。数学以外の教科には全く興味ナシ。
でも、そんな彼がゆくゆくは、科学界のスーパースターとなるのである。

★〔「超ノーベル賞級」ともなると、理解できる人が限られる?〕

アインシュタインが学んだ大学には、有名な数学者のH.ミンコフスキー教授がいたのだが、後にアインシュタインが数々の革新的な理論を打ち出すようになってから、教授は「あの彼が自分の教え子だったなんて、とても信じられない!」と言ったとか…。

また、彼が1905年に博士号を取得することになった例の論文も、直ちに認められたわけではなく、最初は大学講義資格審査で酷評を受けていたことが伝えられる。

当時のアインシュタインは、教授たちに見下されていただろうから、今では「天才的な発想」といわれる論文も、そのときは「なんとも奇想天外な論文、これってホント?」と軽く扱われていたこともあったのでは?

今でも多くの人はアインシュタインのノーベル賞は、あの有名な「相対性理論」に対して与えられたものだと思っているが、これも既述の通り、実は「光電効果」に対して与えられたものだった。当時はまだ、相対性理論の意味がよく理解されなかったのである。

彼の頭脳は、「ノーベル賞級」というのを超えた、まさに「超ノーベル賞級」だったのだ。

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