「ダルベッコー,R.(1914~)」(アメリカのウイルス学者)

■生理学・医学賞(1975年 受賞)

【経歴】

1914年2月22日イタリアのカタンザーロに生まれる。36年トリノ大学医学部卒業。40年同大学病理学助教授。54年カリフォルニア工科大学教授。63年ソーク研究所上級研究員(生物学)。74年ロンドン王立癌研究所副部長。75年ノーベル生理学・医学賞受賞。77年ソーク生物学研究所のクレトン基金研究教授。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「腫瘍ウイルスと遺伝子の相互作用に関する発見と研究」により、1975年ノーベル生理学・医学賞を、D.バルチモア、H.M.テミンらとともに受賞。

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★〔その業績や活動〕

レナート・ダルベッコーは、アメリカのウイルス学者だが、そのあまり聞きなれない名前は、彼がもともとはイタリア生まれであるからである。

彼は、トリノ大学医学部を同輩より2年早く卒業するなど、若い頃から相当に優秀だったとみえる。第二次世界大戦中は軍医としても活躍。戦争終結後は、再び大学に戻り、病理学や実験発生学の助教授に就任している。

そして、ダルベッコーはその後、アメリカに渡り、1950年代後半には、カリフォルニア工科大学で教授となり、後にノーベル生理学・医学賞の受賞に結びつく、重要な実験を始めることになる。

その彼の業績も多岐に渡るが、代表的なものとして、ヒトに急性灰白髄炎を起こす「ポリオウイルス」の研究と、そのための物理定量法を開発したことなどが挙げられよう。

すなわち、「ポリオウイルス」の定量的検定法として、培養細胞を用いた「プラーク法」と呼ばれるものを発見したのだった(1953年)。

これは、単層培養した細胞にウイルスをかけ、その上に寒天を重ねるというものだが、ここではこれ以上の専門的な説明は割愛したい。

要するに、動物に病気を起こすウイルスを検査・研究するに当たり、それまでは実験動物なども用いた、時間や手間のかかる検査から、新たに培養細胞を用いた簡易な検査方法を開発したということだ。

ダルベッコーはその後も、腫瘍ウイルスと細胞の関係について、精力的に研究を続け、その遺伝子レベルでの相互影響なども発見。これを立証することにも成功した。こうした業績により、1975年ノーベル生理学・医学賞を受賞したのである。

★〔「これだけは!」クイズ〕

1.「レナート・ダルベッコーは、アメリカのウイルス学者だが、どこの生まれか?」

2.「ヒトに急性灰白髄炎を起こすウイルスを何という?」

3.「『ポリオウイルス』の定量的検定法として、培養細胞を用いた方法を何という?」

4.「ダルベッコーの発見した『プラーク法』では、単層培養した細胞にウイルスをかけ、その上に何を重ねるのか?」

5.「ダルベッコーは、腫瘍ウイルスが細胞の何と相互作用するのを発見したのか?」

6.「ダルベッコーのノーベル生理学・医学賞受賞は、何の研究によって?」

7.「ダルベッコーは、ノーベル生理学・医学賞を誰とともに受賞したのか?」

答え:1.「イタリア」、2.「ポリオウイルス」、3.「プラーク法」、4.「寒天」、5.「遺伝子」、6.「腫瘍ウイルスと遺伝子の相互作用に関する研究」、7.「D.バルチモア、H.M.テミンらとともに受賞」

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