「コッホ,H.H.R.(1843~1910)」(ドイツの細菌学者)

■生理学・医学賞(1905年 受賞)

【経歴】

1843年12月11日ハノーバーのクラウスタール・ツェラーフェルトで生まれる。62年ゲッティンゲン大学医学部入学。66年優等で卒業、医学博士。72年地方保険医開業。80年ベルリンの帝国衛生院研究員。85年ベルリン大学衛生学教授。91年から1904年まで伝染病研究所(コッホ研究所)所長。05年ノーベル生理学・医学賞受賞。1910年5月27日バーデン・バーデンで死去(享年66歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「細菌学の創始と諸細菌の発見」に対し、1905年ノーベル生理学・医学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

ロベルト・コッホは、ヴォルシュタインという田舎町で開業医をしていたとき、この地方で流行していた家畜の炭疽病の病原菌をネズミを使って発見したり、それを培養することにも成功し、これを研究論文として発表した。

これがキッカケとなり、その後コッホは帝国衛生院の研究員として、さまざまな細菌学の研究技術を開発するようになる。

彼が開発した技術には、「顕微鏡の各種観察技術」や「細菌の滅菌法」をはじめ、半透明で観察しにくい細菌を着色(染色)する「色素による染色法」、それに、肉汁を加えた寒天を用いて、観察しようとする細菌が混合しにくく、分離しやすくなる利点をもつ「固体培養法」などがあった。

1882年には、当時人々から恐れられていた結核の病原菌である「結核菌」を発見(3月24日発表)。続いて84年には「コレラ菌」をも発見。同じ年、「コッホの3原則」といわれる、病原菌決定のための3つの条件なども示している。

91年に「伝染病研究所」の所長となってからは、さらに精力的に、マラリア、牛疫、回帰熱、眠り病、ペストなど、こうした黄熱病の研究に専念するために、各地をまわり、ついに腺ペストはネズミにたかるシラミによって、そして、眠り病はツェツェバエによって媒介される病気であることなどを判明したのだった。

これらの発見から、伝染病予防の新しい手段を確立することにもつながり、コッホには1905年、「細菌学の創始と緒細菌の発見」に対し、ノーベル生理学・医学賞が授与されたのである。

★〔「ツベルクリン反応検査」とは〕

コッホは1890年に、結核の治療薬として開発した「ツベルクリン」を発表している。ところがこれは治療薬としては、全く効果がなかった。それでも、後にこれが「結核症診断」として使われるようになるのである。

この「ツベルクリン」とは、コッホが結核菌を煮つめて作った、いわば「結核菌のエキス」のこと。

現在でも、これを薄めたものを皮内注射し、その部位の腫れぐあい(発赤の程度)などで、結核に掛かっているかどうかを見分けている。

★〔「これだけは!」○×クイズ〕

次の設問に、「○か×か」で答えよ。

1.「コッホが開発した技術には、『細菌の滅菌法』や『色素による染色法』があった」

2.「コッホはロシアの細菌学者であった」

3.「コッホは黄熱病の研究のため、各地をまわっていた」

4.「『ツベルクリン』は、結核の治療薬として開発された」

5.「『ツベルクリン』とは、コッホがコレラ菌を煮つめて作ったものである」

答え:1.「○」、2.「×」、3.「○」、4.「○」、5.「×」

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