1925年大阪府生まれ。東京帝大理学部卒業。神戸工業、東京通信工業(現ソニー)などに勤務。60年に渡米、IBMワトソン研究所の主任研究員を務める。73年ノーベル物理学賞受賞。74年文化勲章受章。92年筑波大学学長。2000年芝浦工業大学長。
【受賞理由となった業績や活動】
(半導体内におけるトンネル現象とは?)
1957年の夏のこと、とある研究室で・・・「トンネルだ!」
研究室で電流計をのぞき込んでいた江崎は思わず、そう声をあげたという。
そして、それは、その後世界的に有名になる「エサキ・ダイオード」(トンネル・ダイオード)が誕生するキッカケとなった瞬間でもあった。
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その日、ある特殊な手法によって、半導体(トランジスタ)の研究をしていた江崎玲於奈は、電圧を上げれば、それに応じて電流も増えるはずなのに、そうはならず、逆に電流が減少するという、奇妙な現象を目の当たりにしていたのだ。
だが、この奇妙な現象に思いあたる「言葉」があった。それが先ほどの「トンネル」という言葉である。
量子力学では、すでに「トンネル効果」という現象が知られていた。では、それはどんな効果なのだろうか?
「トンネル効果」を説明するために、よく引き合いに出されるのが、「壁を通り抜けてしまうという不思議なボール」の例である。
ふつうは、壁にボールを投げつけても、それがぶつかって跳ね返ってくるだけだが、この不思議なボールは、壁にぶつかると、壁の向こう側に染み出ていってしまうのである。それで、こうした現象は「トンネル効果」とか「トンネル現象」と呼ばれていたのだ。
もうお分かりかと思うが、この不思議なボールというのは、量子の世界における「電子」などの粒子のことを例えて言ったものである。電子には「粒子」としての性質のほかに、「波」としての性質があることは当時からすでに知られていたのである。
(ミクロの世界では、「超常茶飯事」?)
我々の(マクロの)世界でそんなことが起こったら、すぐにも「超常現象だ!」と大騒ぎになるが、実は「量子の(極微の)世界」では、そんなことが日常茶飯事に起こっているのである。
電子には「波」としての性質もあることから、壁をくぐり抜けるということも、さほど難しいことではないのだ。そして、こうしたトンネル効果は、半導体でも見られるはずであると予言されていたのである。
江崎が観測したのは、「負性抵抗」と呼ばれる「電圧を上げると電流が逆に減っていく現象」であり、これぞまさしく半導体における「トンネル効果」の現れであったのだ。
この特性はその後、高周波の発振や増幅、また高速のスイッチングなどに応用される道を開くことになる。
(トランジスタの生みの親ショックレー博士からも高い評価)
この研究内容は1957年10月に、日本物理学会にて初めて発表されたが、反響は全くといって無かったという。
そこで江崎は、もっとも権威のあるアメリカの物理専門誌『フィジカル・レヴュー』(1958年1月15日号)に投稿したところ、こんどは同じ分野の専門家からかなり注目されるようになった。
なかでも、トランジスタの生みの親であるショックレー博士にさえ、「これは素晴らしい!」と軽いショックを与えたことが、江崎氏の国内での評価を一挙に高めることにつながった。
そして、1973年にはこの業績、すなわち「半導体内におけるトンネル現象に関する実験的発見」により、ノーベル物理学賞が授賞されるに至ったのだ。
〔1957年夏の日の「発見」までの簡単な経緯〕
江崎玲於奈は1925年、大阪府の生まれ。1944年に東大入学。卒業後は、嵯峨根・東大教授(日本の物理学の父ともいわれる長岡半太郎氏〈大阪大学初代総長〉の子息)からの紹介で神戸工業に入社。
8年あまり勤めた後、東京通信工業(現ソニー)に転職。その2年後の1957年に、後のノーベル賞につながる現象を見つける。江崎が32歳のときだった。
「クイズこれだけは!」
1.電圧を上げると電流が逆に減っていく現象のことを何という?
2.江崎玲於奈が、1957年に見出した現象のことを何という?
3.トンネル現象を利用したダイオードは何と呼ばれているか?
4.江崎がトンネル現象についての論文を投稿したアメリカの物理専門誌の名前は?
5.トランジスタの生みの親である博士の名前は?
答え:1.負性抵抗、2.トンネル現象、3.トンネル・ダイオード(エサキ・ダイオード)、4.『フィジカル・レヴュー』、5.ショックレー(ウィリアム・ショックレー)
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