「クズネッツ, S. S.(1901~85)」(アメリカの経済学者)

経済学賞(1971年 受賞)

【経歴】

1901年4月30日ソ連のハリコフに生まれる。初期ソ連政権下で、一時ウクライナの統計局主任を務める。22年アメリカへ移住、コロンビア大学で学ぶ。26年同大学で博士号取得(「周期的変動」の研究)。27年NBER(米経済研究所)研究員、29年から連邦政府商務省との共同研究でアメリカの国民所得の研究に従事。30年ペンシルバニア大学助教授。36年同大学教授。49年アメリカ統計学会会長。54年アメリカ経済学会会長、ジョンズ・ホプキンズ大学教授。60年ハーバード大学教授。71年同大学名誉教授、同年ノーベル経済学賞受賞。85年7月9日死去(享年84歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

経済成長に対する経験主義的解釈により、社会構造や発展過程に斬新で深い洞察をもたらした功績により、1971年ノーベル経済学賞受賞。 続きを読む 「クズネッツ, S. S.(1901~85)」(アメリカの経済学者)

「ティンバーゲン, J(1903~94)」(オランダの経済学者)

経済学賞(1969年 受賞)

【経歴】

1903年4月12日オランダのハーグに生まれる。ライデン大学で物理学を学ぶが、経済学に転じる。29年博士号取得、オランダ政府中央統計局に勤務、33年ロッテルダム経済大学講師に就任。経済学の計量化を研究。36年国際連盟の景気循環研究委員。45年オランダ政府中央経済計画局長官。55年オランダ経済研究所所長。60年来日し研究指導(経済企画庁と外務省の招きに応じて)。67年エラスムス賞受賞。68年国際連合開発計画委員会の初代委員長に就任。69年に第1回ノーベル経済学賞受賞。73年ライデン大学教授。94年7月9日(享年91歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「計量経済学の発展に寄与した貢献」に対して、1969年ノーベル経済学賞受賞。 続きを読む 「ティンバーゲン, J(1903~94)」(オランダの経済学者)

「マンデラ, N. R(1918~)」(南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者)

平和賞(1993年 受賞)

【経歴】

1918年7月18日南アフリカのトランスカイ地方の大族長の家で誕生。フォートヘア・カレッジ、ウィッツウォーターズランド大学で文学、法学を学ぶ。44年ANC(アフリカ民族会議)に参加、青年同盟を組織。52年その副議長に就任。また非白人として初めて弁護士を開業。56年国家反逆罪容疑で逮捕される。61年無罪判決。ANCの武闘部門「民族の槍」を組織、地下に潜り活動。62年再び治安警察に逮捕投獄される。64年終身刑宣告。90年デクラーク政権により釈放され、同年3月ANC副議長就任。91年ANC議長就任。93年ノーベル平和賞受賞。94年南アフリカ共和国大統領に就任。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「新しい政治秩序へ移行するための原則をもって、デクラーク大統領とともに、南アフリカの民主化を推進してきた」その功績により、1993年ノーベル平和賞を受賞。 続きを読む 「マンデラ, N. R(1918~)」(南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者)

民主化運動の女性リーダーは、学生時代から勤勉で、優秀だった!

「ビルマ建国の父」といわれたアウン・サン将軍を父にもつ、アウン・サン・スー・チー。

その父は1947年に暗殺されており、彼女は15歳のとき、インド大使に就任した母ドー・キン・チーに伴われて、赴任地であるインドで学生時代を過ごすことになった。

インドといえば、あのマハトマ・ガンジーが活躍した国である。ガンジーの非暴力・不服従運動は有名であるが、彼女もそうした考えや行動に共鳴するところが大きかった。

その後、彼女はイギリスのオックスフォード大学に留学し、政治学や哲学、それに経済学などを学んだ。

国連本部でも3年ほど勤務したほか、ブータンに滞在したり、また日本の京都大学でも留学生活(85年10月~)を送ったりと、幅広い教養を身に付けると同時に、奥深い海外経験を重ねていった。 続きを読む 民主化運動の女性リーダーは、学生時代から勤勉で、優秀だった!