武力と権力を背景にした軍事政権 VS 暴力を否定した女性戦士

1988年、国軍は全権を掌握した「国家法秩序回復評議会」(SLORC)、つまり「軍事政権」を成立させ、89年2月になると、「翌年5月に、総選挙を実施する」と発表した。

一方、民衆側はアウン・サン・スー・チーを書記長とした、「国民民主連盟」(NLD)を結成しており、国軍が発表した「翌年の総選挙」に彼女も出馬することになった。

ところが、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)の不法な権力によって、彼女は選挙資格を略奪され、しかも自宅に軟禁されてしまったのだ。彼女の自由を奪い取ることで、民主化運動の影響力が民衆に及ばないようにするためである。

それでも、翌年(90年)に実施された総選挙の結果は、「国民民主連盟」(NDL)の圧勝であった。それにもかかわらず、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)は政権委譲を拒否。彼女も軟禁されたままであった。 続きを読む 武力と権力を背景にした軍事政権 VS 暴力を否定した女性戦士

「アウン・サン・スー・チー(1945~)」(ミャンマーの民主化運動指導者)

平和賞(1991年 受賞)

【経歴】

1945年6月19日首都ラングーン(現ヤンゴン)に生まれる。母の赴任地であるインドで学生時代を過ごし、マハトマ・ガンジーの非暴力・不服従運動に大きく影響される。イギリスのオックスフォード大学で政治学、哲学、経済学を学ぶ。国連に3年ほど勤務。85年京都大学研究員。88年4月母の看護のためミャンマーに帰国、その後「民主化要求運動」に参加。91年それまでの論文・演説・インタビューがまとめられた本がロンドンで刊行される。同年ノーベル平和賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

民主主義と人権回復のための非暴力闘争、また闘争で示した勇気ある言動などに対して、1991年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「アウン・サン・スー・チー(1945~)」(ミャンマーの民主化運動指導者)

『ペレストロイカ』はかく語りき

1985年に共産党書記長に就任したゴルバチョフが、進めていった改革は多い。

中でも「ペレストロイカ」(perestroika)とよばれるものは、日本でもその言葉が有名になったほど、注目された改革だった。

その意味は、「立て直し」。つまり、改革そのもののことだ。

旧ソ連の経済システムである限り、その先も国の経済が思わしくいかないことが、改めて認識された。だから、それを変えるべく、必要な改革をおこなっていった、ということだ。

実際、旧ソ連のような、なんでも中央から指令を出して行うという経済体制(指令型経済)では、ひじょうに効率が悪く、また技術が遅れる要因にもなっていたのである。 続きを読む 『ペレストロイカ』はかく語りき

バルト三国の独立も承認!

思えば、1989年11月の「べルリンの壁」崩壊を弾みに、東欧の共産主義諸国の崩壊が次々と飛び火していった感もある。そうした動きに連動して、ソ連が抱えていた多くの共和国にも独立化(民主化)の波が広がっていった。

あの軍部保守派によるクーデターが鎮圧された後、ソ連共産党の解体を発表したゴルバチョフは、それまでの懸案であったバルト三国(リトアニア・ラトビア・エストニア)の独立を承認。

これをキッカケに、アルメニアやグルジア、それに連邦内ではロシアに次ぐ大国だったウクライナも、ソ連からの独立を表明したのだった。

これらの独立も、ゴルバチョフが大統領を辞任し、ソ連が消滅したことで、達成できたのである。 続きを読む バルト三国の独立も承認!