「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)

平和賞(1990年 受賞)

【経歴】

1931年3月2日ロシアのスタプロボリ州プリボルノエ村に生まれる。52年ソ連共産党に入党。55年モスクワ大学法学部卒業。66年~68年スタプロボリ地方党委第2書記、70年~78年同第1書記、84年4月最高会議外交委員長、85年3月党書記長、88年10月最高会議幹部会議長就任、89年5月新設の最高会議議長となり、ソ連の最高指導者となる。90年3月共産党一党独裁をやめ、大統領制を導入し、初代大統領に就任。しかし国内経済の悪化や緒共和国の分裂は避けられず、ソ連共産党の実質的解体を宣言。ゴルバチョフ財団を創設、総裁に就任。90年ノーベル平和賞受賞。国際緑十字初代会長に就任。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

東西両陣営間の対決を緩和し、地域紛争の解決に役立ち、米ソ間の冷戦終結に貢献した功績により、1990年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)

「ダライ, L.(1935~)」(中国の政治家・宗教指導家)

平和賞(1989年 受賞)

【経歴】

1935年7月6日チベット東北部タクツェル村の農家に生まれる。39年先代ダライ・ラマ13世の転生者と認められ、4才で14世ダライ・ラマに即位。15才で祭政の最高位に就く。その後チベットの中立を守り、中国と対立。51年平和解放のチベット協定を結ぶ。53年中国仏教協会名誉会長、59年3月住民10万人とともに、ヒマラヤを越えインドへ亡命、亡命政府を樹立。79年チベット解放運動を指導。89年ノーベル平和賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

無抵抗平和主義の独立運動をチベット全住民に呼びかけ、チベットの解放運動を指導、少数民族としての権利獲得を訴えてきたことで、89年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「ダライ, L.(1935~)」(中国の政治家・宗教指導家)

若い頃から波乱万丈、またシオニスト強硬派だったベギン

シオニズム運動家ゼエブ・ドヴの息子として生まれたメナヘム・ベギン。自らも16歳のときに、シオニズム運動に参加し、そうした組織にも所属していた。

1939年にドイツがポーランドに侵攻した際、パレスティナ入りを目指し、妻アリザとともにリトアニアに脱出。しかし、シオニストであったベギンは、ソ連の治安当局にイギリスのスパイ嫌疑をかけられ逮捕されてしまう。

そして、シベリアの強制収容所へと送られてしまうのだが、ドイツとの戦いに参加することを条件に釈放され、こうして軍に入隊。こんどは中東に送られることに…。

と、ここまででも、かなりの波乱万丈であるが、その後もやはりゴタゴタが続くのであった。 続きを読む 若い頃から波乱万丈、またシオニスト強硬派だったベギン

シオニズムは、ユダヤ民族再生計画だった?

「シオニズム」とは、ユダヤ人のための独自の国家を建設し、それによって民族としての再生を図ろうとした思想、またはその運動のことをいう。具体的には、パレスティナに「ユダヤ人のための郷土」を作ることを目指したもの。

背景には、長きに渡るユダヤ人差別など、他民族から虐げられてきた歴史がある。

ちなみに、「ユダヤ人」という言葉は、厳密にいうと「ユダヤ教徒」のことを指しているのだが、これを一つの民族とみなし、「ユダヤ民族」として扱われていることも多い。 続きを読む シオニズムは、ユダヤ民族再生計画だった?