■物理学賞(1932年 受賞)
【経歴】
1901年12月5日ビュルツブルクに生まれる。20年ミュンヘン大学入学(物理学専攻)。23年同大学で学位取得。27年ライプチヒ大学理論物理学教授。32年ノーベル物理学賞受賞。41年ベルリン大学教授、カイザー・ウィルヘルム研究所所長兼任。46年ゲッティンゲンの物理学研究所所長。58年ミュンヘン大学教授、マックス・プランク研究所所長。76年2月1日ミュンヘンで死去(享年74歳)。
【受賞理由となった業績や活動】
★〔受賞理由〕
「量子力学の基礎を築き、不確定性原理を発見した業績」に対して、1932年ノーベル物理学賞を受賞。
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★〔その業績や活動〕
物理学者にとって「驚異の年」と呼ばれている1932年。この年は、たて続けに物理学に関した重要な新発見がなされている。中でも、中性子や陽電子といった、素粒子の相次ぐ発見は、物理学者たちを騒然とさせたのだった。
「中性子」の発見は、イギリスのジェームス・チャドウイックによって、そして「陽電子」の発見は、アメリカのカール・アンダーソンによって成し遂げられた。(なお、アンダーソンは37年には、ミューオンと呼ばれる粒子をも発見。これは当初、日本の湯川が予言していた「中間子」であると考えられた)
そして、こうした「驚異の年」である1932年に、ノーベル物理学賞を受賞したのが、ヴェルナー・ハイゼンベルグだった。その研究業績には「量子力学の基礎を築き…」とあるように、彼こそは量子力学の創始者の一人であったのだ。
また、「不確定性原理を発見した」とあるように、ハイゼンベルグは、粒子性と波動性とを両立させられる「不確定性原理」というものを提唱したのである。
これは「量子のようなミクロの世界では、観測によって得られる結果は不確定である」ということ。「不確定」というのは、粒子の位置を特定しようとすると、その運動量の誤差が無限大になってしまい、逆に運動量を特定しようとすると、その位置の誤差が無限大になってしまうことから、そう呼ばれているのである。
★〔「不確定性原理」はマクロの世界でも通用する?〕
「不確定性原理」は、量子の世界をうまく記述するための、一つの道具として用いられるようになった。ところが、この用語は量子力学とは関係のない分野でも、引き合いに出されることがある。たとえば、哲学や、また宗教の世界において、「存在の不確かさ」について言及するときなどだ。
そういえば、哲学者デカルトも「我思う、故に我あり」と唱えたように、哲学や禅の世界では、「存在」というテーマこそ最大の関心事でもある。
一方、深酒をして、自分の存在を不確定にしている人もたまに見掛ける。あれなどは「深く泥酔(ふかくでいすい)原理」となるのだろう。その後には「不覚訂正原理」も必要となる。
★〔「これだけは!」○×クイズ〕
次の設問に、「○か×か」で答えよ。
1.「『不確定性原理』は、量子の世界をうまく記述するための、一つの道具として用いられるようになった」
2.「物理学者たちにとって『驚異の年』となった1932年に、ノーベル物理学賞を受賞したのが、ヴェルナー・ハイゼンベルグだった」
3.「ハイゼンベルグは、粒子性と波動性とを両立させられる『相対性原理』というものを提唱した」
答え:1.「○」、2.「○」、3.「×」
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