「日本人受賞者」カテゴリーアーカイブ

日本人ノーベル賞受賞者

「江崎 玲於奈(1925~)」(1973年 物理学賞)

1925年大阪府生まれ。東京帝大理学部卒業。神戸工業、東京通信工業(現ソニー)などに勤務。60年に渡米、IBMワトソン研究所の主任研究員を務める。73年ノーベル物理学賞受賞。74年文化勲章受章。92年筑波大学学長。2000年芝浦工業大学長。

【受賞理由となった業績や活動】

(半導体内におけるトンネル現象とは?)

1957年の夏のこと、とある研究室で・・・「トンネルだ!」

研究室で電流計をのぞき込んでいた江崎は思わず、そう声をあげたという。

そして、それは、その後世界的に有名になる「エサキ・ダイオード」(トンネル・ダイオード)が誕生するキッカケとなった瞬間でもあった。 続きを読む 「江崎 玲於奈(1925~)」(1973年 物理学賞)

「川端 康成(1899~1972)」(1968年 文学賞)

1899年大阪府生まれ。東京帝大国文科卒業。1921年(帝大在学中)発表の『招魂祭一景』が認められる。52年芸術院賞。61年文化勲章。68年ノーベル文学賞受賞。72年没(4月16日ガス自殺)。

代表作: 『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』『千羽鶴』他。

【受賞理由となった業績や活動】

(1968年、日本人初のノーベル文学賞受賞)

1968年10月17日、川端康成は日本人初のノーベル文学賞を受賞した。

アジアでは2人目のノーベル文学賞受賞となった。1人目は、1913年受賞のインドの詩人・タゴール。それから、実に55年目となる、アジアでの文学賞受賞だったのだ。 続きを読む 「川端 康成(1899~1972)」(1968年 文学賞)

「朝永振一郎(1906~79)」(1965年 物理学賞)

1906年東京生まれ。京都帝大理学部卒業。理化学研究所研究員、東京文理科大教授、東京教育大学長、日本学術会議会長などを歴任。52年文化勲章受賞。65年ノーベル物理学賞受賞。79年没。

【受賞理由となった業績や活動】

(湯川と朝永、ともに「物理学の最先端を築く道」の上を歩む)

朝永振一郎は、湯川秀樹に次いで、日本では2人目のノーベル賞受賞者となった。

実はこの2人、京都にあった旧制第三高等学校、そして現在の京都大学の前身であった京都帝大の同級生どうしであり、また、共に物理学の道を極めようと志した、よきライバルどうしでもあったのだ。 続きを読む 「朝永振一郎(1906~79)」(1965年 物理学賞)

「湯川 秀樹(1907~81)」(1949年 物理学賞)

1907年東京生まれ。京都帝大理学部卒、京大講師、阪大講師、同教授を経た後、39年京大教授。43年文化勲章。48年プリンストン高等科学研究所客員教授。49年コロンビア大教授、ノーベル物理学賞受賞。53年京大基礎物理学研究所所長。70年京大退官。81年没。

【受賞理由となった業績や活動】

(研究発表前の「物理学の状況」)

1個の原子の大きさは、およそ1億分の1センチ程度といわれる。その原子の中央にある「原子核」ともなると、さらにその1千万分の1ほどの大きさしかない。 続きを読む 「湯川 秀樹(1907~81)」(1949年 物理学賞)