「フレミング,A(1881~1955)」(イギリスの細菌学者)

■生理学・医学賞(1945年 受賞)

【経歴】

1881年8月6日スコットランドに生まれる。1906年セントメアリー病院医学校卒業、セントメアリー病院勤務。08年ロンドン大学のゴールドメダル受賞。18年セントメアリー病院講師。20年系統細菌学部門部長及び予防接種部門副部長。28年同病院教授。44年ナイトの称号。45年ノーベル生理学・医学賞受賞。51年エディンバラ大学学長。1955年3月11日ロンドンで死去(享年73歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「ペニシリンの発見」により、1945年ノーベル生理学・医学賞受賞。

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★〔その業績や活動〕

イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングは、1928年に生涯で最大の発見を成し遂げた。それは、後に人々から「奇跡の発見」と呼ばれるようになる「ペニシリン」のことである。これにより、1945年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

フレミングが医者として活躍した時代には、第一次世界大戦なども起こっている。実際、彼はイギリス陸軍野戦病院に軍医として勤めたこともあるのだ。

だから、大勢の負傷した兵士の治療にもあたっていた。このとき、傷口などに用いる消毒液や防腐剤には、それほどの効果がないことを強く感じたらしい。戦争が終わった後も、彼は殺菌作用のある物質について研究を続けている。

やがて、涙や鼻水、それに卵白の中などから、殺菌作用をもつ酵素「リゾチーム」(彼自身が命名)を見出すことに成功する。ところが、このリゾチームにしても、強い毒性をもつ細菌に対しては、まるで歯が立たなかったのである。

この時代、戦争という脅威とともに、「黄色ブドウ球菌」をはじめとする、さまざまな菌もまた、人類にとっての、大きな脅威になっていたのである。

フレミングは、来る日も来る日も、黄色ブドウ球菌などの細菌を培養して、実験を繰り返すという毎日を続けていた。そして、1928年の夏、後の世に「奇跡の発見」と呼ばれるようになる、あの発見をすることになる。

その年の夏のある日、彼は細菌を培養していた「培養皿」の中に、アオカビが繁殖しているのを発見。皿のフタが数日間も開けっ放しであったのだ。多忙のゆえの見落としである。
「細菌の培養皿にカビの汚染。これでは実験には使えない。捨てるとするか…」

ところが、よく見ると、培養皿一面に繁殖していたはずの黄色ブドウ球菌が、アオカビの周りだけは消えていた。「こ、これは、もしかすると!」

そう、このアオカビが作り出した物質こそが、多くの毒性のある細菌をも殺菌するだけの力をもつ「ペニシリン」だったのである。そして、こうしたカビが分泌する「細菌を殺す物質」(抗生物質)は、その後、多くの人命を救うことになるのだ。

★〔「これだけは!」クイズ〕

1.「1928年の『奇跡の発見』とは、何の発見のことだったか?」

2.「フレミングが医者として戦争中におこなったことは?」

3.「フレミングは医者である一方、また何の専門の学者だったか?」

4.「『奇跡の発見』の季節は?」

5.「『ペニシリン』は、何が作り出した物質か?」

6.「涙や鼻水の中などに含まれる殺菌作用をもつ酵素を何という?」

7.「カビや細菌が分泌する殺菌作用のある物質のことを何という?」

8.「ペニシリンが偶然に発見されたとき、それは何の細菌の発育を阻害していたか?」

答え:1.「ペニシリン」、2.「軍医として負傷した兵士の治療」、3.「細菌学者」、4.「夏」、5.「アオカビ」、6.「リゾチーム」、7.「抗生物質」、8.「黄色ブドウ球菌」

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