「ノーベル文学賞」カテゴリーアーカイブ

ノーベル文学賞受賞者

「チャーチル, W. L. S(1874~1965)」(イギリスの政治家)

文学賞(1953年 受賞)

【経歴】

1874年11月30日イギリスに生まれる。サンドハースト陸軍士官学校を経て陸軍に入隊。98年従軍記「マラカンド野戦軍」、「河畔の戦争」(99年)で文名を得る。99年陸軍を辞め『モーニング・ポスト』特派員としてブーア戦争の取材に赴き、そこで捕虜となって脱出した体験記を発表(1900年)。00年保守党から下院に入る。04年自由党に移籍。23年から29年に2つの大戦の回顧録「世界の危機」(全4巻)を執筆。39年海相に任じられ、40年首相となる。演説や著作に見る格調高い語法は英語とともに残るとまでいわれ、53年ノーベル文学賞を受賞。65年1月24日に死去。(享年91歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

演説や著作に見る格調高い語法(文体)によって、1953年ノーベル文学賞を受賞。 続きを読む 「チャーチル, W. L. S(1874~1965)」(イギリスの政治家)

「ラッセル, B. A. W(1872~1970)」(イギリスの哲学者・論理学者)

文学賞(1950年 受賞)

【経歴】

1872年5月18日イギリス・ウェールズ地方に生まれる。ケンブリッジ大学で主に数学を専攻(他に哲学も学ぶ)。95年ドイツに留学、社会民主主義を学ぶ。1901年数学の集合における「ラッセルのパラドックス」を発見。03年「数学の諸原理」を著す。10年母校の恩師と共に「数学原論」を出版。「見知り理論」や「記述の理論」で記号論理学や数学基礎論に貢献。16年反戦運動で大学を追われ、18年半年間投獄される。21年来日しジャーナリズムでも活躍。社会評論や哲学の著述にも専念。政治・教育・社会問題に関する著書多数。50年ノーベル文学賞受賞。70年2月2日死去(享年98歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

社会評論や哲学に関する多数の著書を著し、また世界大戦時には平和を唱え、さらにジャーナリズムの世界でも広く活躍した、それらの功績により1950年ノーベル文学賞受賞。とくに「結婚と道徳」(1929年)、「西洋哲学史」(1945年)などの執筆で評価が高い。 続きを読む 「ラッセル, B. A. W(1872~1970)」(イギリスの哲学者・論理学者)

「エリオット, T. S(1888~1965)」(イギリスの詩人・批評家)

■文学賞(1948年 受賞)

【経歴】

1888年9月26日アメリカのセント・ルイスに生まれる。ハーバード大学やオックスフォード大学に学ぶ。1915年イギリスに定住し、高校教師や銀行員として生計を立てながら、創作活動を続ける。17年のとき処女詩集「プルーフロックの恋歌」を発表。20年には文芸評論集「聖なる森」を発表。22年に季刊誌『クライティーリオン』を創刊(第二次世界大戦の直前に廃刊)、また長編詩「荒地」も発表。44年詩集「四つの四重奏」を発表。48年ノーベル文学賞を受賞。65年1月4日死去(享年77歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

現代詩劇の先駆けとなった、新しい詩的言語の創造など、そうした功績により、1948年ノーベル文学賞を受賞。 続きを読む 「エリオット, T. S(1888~1965)」(イギリスの詩人・批評家)

「ヘッセ, H(1877~1962)」(スイスの詩人・作家)

■文学賞(1946年 受賞)

【経歴】

1877年7月2日ドイツのビュルテンブルグ州カルブに生まれる。名門マウルブロン神学校に入学するが、半年で中退。以後、町工場の見習い工や本屋の店員をしながら独学で文学を勉強。99年22歳のとき処女詩集「ロマン的な歌」を自費出版。1901年詩文集「ヘルマン・ラウシャー」を発表。04年「ペーター・カーメンツィント」(邦訳「郷愁」)出版。その後も「車輪の下」(06年)、「この岸」(07年)、「隣人」(08年)など、次々に書き上げていく。46年ゲーテ賞に続きノーベル文学賞受賞。62年8月9日死去(享年85歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

時代批判に基づく象徴的理念的世界を描いた大作に対して、1946年ノーベル文学賞受賞。 続きを読む 「ヘッセ, H(1877~1962)」(スイスの詩人・作家)