「GNP」は、Gross(総)、National(国民)、Product(生産)の略で、「国民総生産」ということになる。つまり、日本「国民」が、「生産」したもの(使ったお金)の合計(総)ということだ。

だから、日本であろうと、海外であろうと、日本国民が使ったお金は、すべて、これに含まれることになる。

ところで、現在では、このGNPを「経済成長を示す指標」として用いることはなくなった。

なぜなら、国際化が進み、国内の外国人が増えてきたため、外国人が使うお金も増えてきたからである。これを含めないと、実際の経済成長が、正確に把握できなくなるのだ。 続きを読む »

tags:

「ビルマ建国の父」といわれたアウン・サン将軍を父にもつ、アウン・サン・スー・チー。

その父は1947年に暗殺されており、彼女は15歳のとき、インド大使に就任した母ドー・キン・チーに伴われて、赴任地であるインドで学生時代を過ごすことになった。

インドといえば、あのマハトマ・ガンジーが活躍した国である。ガンジーの非暴力・不服従運動は有名であるが、彼女もそうした考えや行動に共鳴するところが大きかった。

その後、彼女はイギリスのオックスフォード大学に留学し、政治学や哲学、それに経済学などを学んだ。

国連本部でも3年ほど勤務したほか、ブータンに滞在したり、また日本の京都大学でも留学生活(85年10月~)を送ったりと、幅広い教養を身に付けると同時に、奥深い海外経験を重ねていった。 続きを読む »

tags: ,

1988年、国軍は全権を掌握した「国家法秩序回復評議会」(SLORC)、つまり「軍事政権」を成立させ、89年2月になると、「翌年5月に、総選挙を実施する」と発表した。

一方、民衆側はアウン・サン・スー・チーを書記長とした、「国民民主連盟」(NLD)を結成しており、国軍が発表した「翌年の総選挙」に彼女も出馬することになった。

ところが、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)の不法な権力によって、彼女は選挙資格を略奪され、しかも自宅に軟禁されてしまったのだ。彼女の自由を奪い取ることで、民主化運動の影響力が民衆に及ばないようにするためである。

それでも、翌年(90年)に実施された総選挙の結果は、「国民民主連盟」(NDL)の圧勝であった。それにもかかわらず、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)は政権委譲を拒否。彼女も軟禁されたままであった。 続きを読む »

tags: ,