「ビルマ建国の父」といわれたアウン・サン将軍を父にもつ、アウン・サン・スー・チー。
その父は1947年に暗殺されており、彼女は15歳のとき、インド大使に就任した母ドー・キン・チーに伴われて、赴任地であるインドで学生時代を過ごすことになった。
インドといえば、あのマハトマ・ガンジーが活躍した国である。ガンジーの非暴力・不服従運動は有名であるが、彼女もそうした考えや行動に共鳴するところが大きかった。
その後、彼女はイギリスのオックスフォード大学に留学し、政治学や哲学、それに経済学などを学んだ。
国連本部でも3年ほど勤務したほか、ブータンに滞在したり、また日本の京都大学でも留学生活(85年10月~)を送ったりと、幅広い教養を身に付けると同時に、奥深い海外経験を重ねていった。 続きを読む »
tags: アウン・サン・スー・チー, コラム1988年、国軍は全権を掌握した「国家法秩序回復評議会」(SLORC)、つまり「軍事政権」を成立させ、89年2月になると、「翌年5月に、総選挙を実施する」と発表した。
一方、民衆側はアウン・サン・スー・チーを書記長とした、「国民民主連盟」(NLD)を結成しており、国軍が発表した「翌年の総選挙」に彼女も出馬することになった。
ところが、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)の不法な権力によって、彼女は選挙資格を略奪され、しかも自宅に軟禁されてしまったのだ。彼女の自由を奪い取ることで、民主化運動の影響力が民衆に及ばないようにするためである。
それでも、翌年(90年)に実施された総選挙の結果は、「国民民主連盟」(NDL)の圧勝であった。それにもかかわらず、「国家法秩序回復評議会」(SLORC)は政権委譲を拒否。彼女も軟禁されたままであった。 続きを読む »
tags: アウン・サン・スー・チー, コラム




