「ノーベル平和賞」カテゴリーアーカイブ

ノーベル平和賞受賞者

「佐藤 栄作(1901~75)」(1974年 平和賞)

1901年山口県生まれ。東京帝大法学部卒業。鉄道省入省、運輸次官。48年吉田内閣官房長官。49年衆院議員に初当選、自由党幹事長。55年無所属(自民党結成に不参加)。58年岸内閣蔵相。61年池田内閣通産相。64年首相。74年ノーベル平和賞受賞。75年没。

【受賞理由となった業績や活動】

(佐藤栄作のノーベル平和賞受賞に至る背景は?)

1974年12月10日、ノルウェーの首都オスロで、佐藤栄作にノーベル平和賞が贈られた。受賞の理由として、「平和裏に沖縄返還を実現した功績」が挙げられたが、とくに、その沖縄返還の基盤となった「核兵器を造らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則の意義が強調されたという。 続きを読む 「佐藤 栄作(1901~75)」(1974年 平和賞)

「マンデラ, N. R(1918~)」(南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者)

平和賞(1993年 受賞)

【経歴】

1918年7月18日南アフリカのトランスカイ地方の大族長の家で誕生。フォートヘア・カレッジ、ウィッツウォーターズランド大学で文学、法学を学ぶ。44年ANC(アフリカ民族会議)に参加、青年同盟を組織。52年その副議長に就任。また非白人として初めて弁護士を開業。56年国家反逆罪容疑で逮捕される。61年無罪判決。ANCの武闘部門「民族の槍」を組織、地下に潜り活動。62年再び治安警察に逮捕投獄される。64年終身刑宣告。90年デクラーク政権により釈放され、同年3月ANC副議長就任。91年ANC議長就任。93年ノーベル平和賞受賞。94年南アフリカ共和国大統領に就任。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

「新しい政治秩序へ移行するための原則をもって、デクラーク大統領とともに、南アフリカの民主化を推進してきた」その功績により、1993年ノーベル平和賞を受賞。 続きを読む 「マンデラ, N. R(1918~)」(南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者)

「アウン・サン・スー・チー(1945~)」(ミャンマーの民主化運動指導者)

平和賞(1991年 受賞)

【経歴】

1945年6月19日首都ラングーン(現ヤンゴン)に生まれる。母の赴任地であるインドで学生時代を過ごし、マハトマ・ガンジーの非暴力・不服従運動に大きく影響される。イギリスのオックスフォード大学で政治学、哲学、経済学を学ぶ。国連に3年ほど勤務。85年京都大学研究員。88年4月母の看護のためミャンマーに帰国、その後「民主化要求運動」に参加。91年それまでの論文・演説・インタビューがまとめられた本がロンドンで刊行される。同年ノーベル平和賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

民主主義と人権回復のための非暴力闘争、また闘争で示した勇気ある言動などに対して、1991年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「アウン・サン・スー・チー(1945~)」(ミャンマーの民主化運動指導者)

「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)

平和賞(1990年 受賞)

【経歴】

1931年3月2日ロシアのスタプロボリ州プリボルノエ村に生まれる。52年ソ連共産党に入党。55年モスクワ大学法学部卒業。66年~68年スタプロボリ地方党委第2書記、70年~78年同第1書記、84年4月最高会議外交委員長、85年3月党書記長、88年10月最高会議幹部会議長就任、89年5月新設の最高会議議長となり、ソ連の最高指導者となる。90年3月共産党一党独裁をやめ、大統領制を導入し、初代大統領に就任。しかし国内経済の悪化や緒共和国の分裂は避けられず、ソ連共産党の実質的解体を宣言。ゴルバチョフ財団を創設、総裁に就任。90年ノーベル平和賞受賞。国際緑十字初代会長に就任。

【受賞理由となった業績や活動】

★〔受賞理由〕

東西両陣営間の対決を緩和し、地域紛争の解決に役立ち、米ソ間の冷戦終結に貢献した功績により、1990年ノーベル平和賞受賞。 続きを読む 「ゴルバチョフ, M(1931~)」(旧ソ連の政治家)