「ノーベル化学賞」カテゴリーアーカイブ

ノーベル化学賞受賞者

「田中 耕一(1959~)」(2002年 化学賞)

1959年富山県生まれ。83年東北大学工学部電気工学科卒業、㈱島津製作所(技術研究本部中央研究所)入社。86年同社計測事業本部・第二科学計測事業部・技術部第一技術課。92年同社分析事業本部・第一分析事業部技術部。2002年同社分析計測事業部・ライフサイエンスビジネスユニット・ライフサイエンス研究所。受賞歴: 2002年ノーベル化学賞受賞、その他にも日本質量分析学会奨励賞。

【受賞理由となった業績や活動】

(それまではタンパク質の質量を計るのは至難の業とされていた)

2002年、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一(㈱島津製作所)の研究業績を、一言で(一気に)言うと、「生体高分子の質量分析法のための穏和な脱着イオン化法の開発」となる。簡単に言うと「タンパク質の質量分析法の開発」ということである。 続きを読む 「田中 耕一(1959~)」(2002年 化学賞)

「野依 良治(1938~)」(2001年 化学賞)

1938年兵庫県生まれ。61年京都大学工学部卒業。67年工学博士号取得。68年名古屋大学理学部助教授。72年同大学教授。96年同大学大学院教授。2000年名古屋大学物質科学国際研究センター長、文化勲章受章。01年ノーベル化学賞受賞。他にもウォルフ賞(イスラエル)、ロジャー・アダムス賞(米国化学会)など受賞歴多数。

【受賞理由となった業績や活動】

(長年の苦労が報われて、大きな喜びとなる瞬間)

「Greatest honor in my life !」(人生最大の光栄です。喜んでお受けします)

2001年10月10日の午後7時ちょっと前。仕事場に掛かってきた電話を受け取り、先方の話を聞いた後、こう答えたのは、野依良治(名古屋大教授)だった。

それは、本当にこれまでの苦労が全て報われたと感じられる、そんな瞬間だっただろう。 続きを読む 「野依 良治(1938~)」(2001年 化学賞)

「白川 英樹(1936~)」(2000年 化学賞)

1936年東京生まれ。陸軍軍医だった父の仕事の関係で、幼少期を台湾で過ごす。61年東京工業大理工学部化学工学科卒業。66年同大学大学院博士課程終了、同大学資源化学研究所助手。79年筑波大助教授。82年同大学教授、83年高分子学会賞受賞。2000年筑波大名誉教授、文化勲章、ノーベル化学賞受賞。01年総合科学技術会議議員。

【受賞理由となった業績や活動】

(ミレニアムのノーベル化学賞は「導電性ポリマーの発見と開発」に対して)

西暦2000年というミレニアム(千年紀)にも、日本人はノーベル化学賞を受賞する栄誉に与ることができた。ノーベル賞の授賞が始まったのが1901年からなので、この年はそれからちょうど、100年の節目にも当たっていた。 続きを読む 「白川 英樹(1936~)」(2000年 化学賞)

「福井 謙一(1918~98)」(1981年 化学賞)

1918年10月4日奈良県生まれ。41年京都帝大工学部卒業。51年同学部教授。62年日本学士院賞。71年学部長。81年米科学アカデミー会員、文化勲章、ノーベル化学賞受賞。82年京都工芸繊維大学長。88年基礎化学研究所所長。98年1月9日死去(享年79歳)。

【受賞理由となった業績や活動】

(日本人初の「ノーベル化学賞」を受賞)

1981年、ひさびさに日本人にノーベル賞受賞者が現れた。しかも、初の「ノーベル化学賞」での受賞だ。受賞者は、福井謙一その人である。

ちなみに、彼は「もっとも化学者らしくない化学者」、そう形容されることもあった。 続きを読む 「福井 謙一(1918~98)」(1981年 化学賞)