「利根川 進(1939~)」(1987年 生理学・医学賞)

1939年愛知県生まれ。59年京都大学理学部入学。63年京大ウイルス研究所、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)生物学科留学、理学博士号取得後、カリフォルニア大学、69年ソーク研究所(アメリカ)、71年バーゼル免疫学研究所(スイス)を経て、81年マサチューセッツ工科大学生物学教授に就任。87年ノーベル生理学・医学賞受賞。

【受賞理由となった業績や活動】

(日本人初のノーベル生理学・医学賞)

1987年、日本人としては初のノーベル生理学・医学賞を受賞したのは、利根川進(マサチューセッツ工科大学教授)。

受賞理由は「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」だった。

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この研究成果で、日本はバイオテクノロジーの分野でも世界に認められることになる。

では、その「多様な抗体を生成する遺伝的原理」について、簡単に述べていこう。

化学物質、細菌、ウイルスなど、われわれの身の周りには、身体にとって実に多くの「毒となる異物」がある。そうした異物に囲まれながらも、われわれは子供の頃から比較的無事に成長していき、やがて老いていくことになる。

ヒトの一生の間、人体に取り込まれる異物は、それこそ膨大な数にのぼるだろう。

さまざまな異物のことは、それを総称して「抗原」と呼んでいる。そして、人体にはこれら多くの抗原を無毒化するためのたんぱく質がある。

いや、「無毒化するためのたんぱく質がある」というより、「無毒化するためのたんぱく質がつくられる」といったほうがいいかもしれない。

この「無毒化するためのたんぱく質」が、「抗体」と呼ばれているものである。

ある抗原が身体に入ってくると、それが刺激となって、それに対応する抗体がつくられるというわけだ。

1つの抗原には、1つの抗体が必要となるので、たとえば抗原が1億あるとすると、それを無毒化する抗体も1億必要ということになる。さもないと、1億の中のたった1つの抗原のためにも、われわれは命を落とす危険があるのだ。

(抗原抗体反応の遺伝的仕組みの解明)

こうした抗体を製造するための設計図は、遺伝子DNAがもっているのだが、これに関しては長年、「生物学上のミステリー」となっている疑問があった。

何故、何億もの抗原を無毒化するための専用の抗体の遺伝子を、人体は最初からもっているのか?
研究当時、1つの遺伝子は1つのたんぱく質に対応していることが分かっていた。

また、遺伝子の数は3,4万個ほどと考えられていた。多く見積もっても、せいぜい10万個だろうとされていたのだ。

それに対して、われわれの免疫システムは、環境中にあるさまざまな抗原に対応する抗体を、なんと100億個以上もつくる能力があることが判明していたのだ。

これでは、抗体をつくる遺伝子がぜんぜん足らないということになる。だから、生まれながらにして、すでに膨大な抗体を用意しているということは考えられなかった。

そうではなく、遺伝子が成長とともに、組み変わっていくのではないか、とする仮説も提示された。だが、それをうまく説明することはできなかった。

(それまでの免疫学上の「神秘のヴェール」を取り払った)

こうして、「抗体の多様性」発現のミステリー(英語では「Generation of Diversity;GOD」)は、生物学、あるいは免疫学の世界を覆っていたのだ。

そして、その、まさしく「神(GOD)の秘密」(神秘)のヴェールを取り払ったのが、利根川だったのである。

長い期間にわたる、多くの試行錯誤と実験上の困難を乗り越えて、ようやく辿り着いた「抗体の多様性」をもたらす正体。それをごく簡単にかいつまんで言うと、次のようになる。

ちょうど、アルファベットの「Y」字形の立体構造をした抗体は、そのY字の腕の先に、さまざまな抗原と反応できるような、アミノ酸配列に多様性のある「可変領域」をもっていることが分かってきた。

そして、その可変領域の遺伝子を調べていき、ついに抗体の多様性の仕組みが明らかとなったのだ。

「分子生物学者になりたい」学生の頃からのその思いどおり、今、彼は世界から最も注目される「分子生物学者」の一人となっている。

「クイズこれだけは!」

次の設問に、「○か×か」で答えよ。

1.抗体は、アルファベットの『X』の字形の立体構造をしている。

2.われわれの身の周りには、抗原となりうる実に多くの『異物』がある。

3.利根川進は、日本人としては初のノーベル物理学賞を受賞した。

4.利根川は、スイスのバーゼル免疫学研究所で抗体の多様性について研究していた。

答え:1.×、2.○、3.×、4.○

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